日本初のデザイナーコースは
アリソンによって“朝霞”に誕生した

ゴルフの歴史に通じている方ならご承知だろうが、日本のゴルフは、1901年にグルームが神戸の六甲山麓に4ホールのコースを造ったことに始まる。しかし、日本の“ゴルフコース設計”の始まりはといえば、1930年に来日したC.H.アリソンによってもたらされたと言っても過言ではない。

画像: 日本のコースの設計の礎を築いた英国人設計家。アゴの高い「アリソンバンカー」はあまりにも有名。自然との調和を図る設計も特徴だ(画・政岡稔也)

日本のコースの設計の礎を築いた英国人設計家。アゴの高い「アリソンバンカー」はあまりにも有名。自然との調和を図る設計も特徴だ(画・政岡稔也)

3カ月の短い滞在で、東京GC朝霞コース(その後陸軍の要請により売却)、川奈GC廣野GCを設計するが、この時交流していたのが赤星六郎だ。

画像: 米国留学中にゴルフを学び、日本のゴルフ黎明期に選手、指導者、設計家として活躍。日本オープンゴルフ選手権の初代チャンピオンでもある(画・政岡稔也)

米国留学中にゴルフを学び、日本のゴルフ黎明期に選手、指導者、設計家として活躍。日本オープンゴルフ選手権の初代チャンピオンでもある(画・政岡稔也)

赤星六郎も米国での留学経験から得たコースの思想を日本に持ち帰り、アリソンが来日した時点で我孫子GC相模CCを設計していたのだが、朝霞コースは赤星六郎をして「外国の一流コースに決して劣っていない」と言わしめる完成度だった。

画像: 幻の東京GC朝霞コース(全長6700Y Par72)。アウトは時計回り、インは反時計回りのレイアウト。地形が平らなため各所に大きなマウンドを配した

幻の東京GC朝霞コース(全長6700Y Par72)。アウトは時計回り、インは反時計回りのレイアウト。地形が平らなため各所に大きなマウンドを配した

「朝霞コースは、平坦な土地にあれだけの変化をつけて造り上げたことは、かなり大したことである。クラブハウスから見渡した1番のバンカー、3番、9番、18番のグリーンのアレンジメントの上手さなどは敬服の至りだ」

「アリソンが残していったゴルフ設計のセンスは非常に大きい。アリソンがやったようなことは、自分でも考えていたが、それを実行に移す点が、アリソンにして初めてできるワザだったであろう。将来、アリソンの作った朝霞コース以上のすぐれて立派なものができなければならないと思う」(赤星六郎)」

画像: 3番ホール(パー3)でティショットする赤星六郎。池絡みのホールはここだけだが、大小112個のバンカーが戦略性を高めた

3番ホール(パー3)でティショットする赤星六郎。池絡みのホールはここだけだが、大小112個のバンカーが戦略性を高めた

日本のコース設計は、1930年代のこの“ビッグバン”により、その後発展していくことになるのだ。

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