J・二クラスも欲しがったJ's メタル
プロデビュー2年目の初優勝以来、初めてシーズン0勝に終わったのは1979年のこと。偶然にもこの年、アメリカではステンレスヘッドのドライバー「テーラーメイド・ツアープリファード」が誕生。そして80年代に入ると急速にツアーに浸透していった。

(左)ブリヂストン「J's メタル」(1990~1995年)と(右)テーラーメイド「バーナー」(1979~1993年)
ジャンボが本格的に使い始めたのは1987年からで、それとともに、以前よりも強いジャンボが帰ってきた。
メタルヘッドはパーシモンに比べるとフェースプログレッションが小さく、スピン量が少なく、方向性もよくなる。フェースプログレッションが小さいという感覚的にはグースネックで、ジャンボはパーシモンの時代からこうした形状を好んだ。ジャンボのドライバー変遷は、いかにスピンを抑えるかの歴史であり、ハマる条件を備えていたともいえる。

ジャンボ尾崎が使用したことで人気が爆発したメタルヘッド(1990年フジサンケイクラシック)
強いジャンボの復活に喜んでばかりいられないのが契約元のブリヂストンスポーツだ。試作とテストを繰り返し、ようやくジャンボが納得できるものが完成したのはおよそ2年後である。J’s メタルの誕生だ。
90年春、ジャンボがJ's メタルを手にオーガスタに乗り込むと、ドライバーに話題が集中。ニクラスやフロイドらのマスターたちも興味を示し、ニューヨークタイムズまでが話題にした。
J'sメタルが生まれたことで、ジャンボの王座は揺るぎないものになった。主にJ'sメタルシリーズで戦ったその後の7年間で賞金王を逃したのは、2シーズンだけで、国内に限っては実績でも人気でもテーラーメイドを圧倒した。

ジャンボ尾崎が勝ち続けたセッティング
メタルヘッドが輝いていたのはわずか15年たらずだが、テーラーメイドとJ'sメタルの戦いは史上に残る名勝負で、ひとりのスーパースターが主役を張っていたという点でもエポックメーキングだった。
(月刊ゴルフダイジェスト2014年7月号より)