南アフリカ初のメジャーチャンピオン、ボビー・ロックが18歳で全英オープンに初出場して注目を集めてきた1935年、ゲーリー・プレーヤーはヨハネスブルグで産声をあげた。

そして'53年、18歳でプロに転向し'57年からは米ツアーに参戦。そんな若きG.プレーヤーがテキサスに来た時の欠かせない行事が、偉大なるプロゴルファー、ベン・ホーガンに挨拶をすることだった。

1935年、ヨハネスブルグ生まれ
メジャー9勝(マスターズ3勝、全米オープン1勝
全英オープン3勝、全米プロ2勝)の世界で5人しかいない
グランドスラマー。パーマー、ニクラスとともに
ビッグ3と称されている

プロゴルファーにしては比較的小柄だった(168cm)G.プレーヤー。ホーガンの一挙手一投足を食い入るように見つめ、プレーの数時間前には声高らかに「おはようございます!」と挨拶し続けたが無視される日々が続いた。しかし、足繁く“ホーガン詣で”を続けると、ようやくホーガンは口をきいてくれるようになり「ゴルフの真髄は土の中にある」という言葉をG.プレーヤーに残した。

“練習場でひたすらボールを打って打って打ち続けることしか上達の道はない”という意味と、若きG.プレーヤーは悟り、その日からガムシャラに練習を続けた。
「全人類の中で最も練習をしたのは私だ」
とG.プレーヤーは過去を遡り語っている。その積み重ねを得て辿り着いたスウィングについても自ら分析している。
「右から左へ、いかに体重を移しきれるか。そしていかに加速しながらインパクトを迎えられるか。ゴルフはかくもシンプルにして奥深いものなのです」

永井延宏プロ「フォワードプレスの反動から体を左軸へ回り込ませ、そこから左サイドを呼び戻しながらインパクトへ向かう左1軸打法のようなダイナミックさがあります。まさに元祖左1軸打法ですね」

G.プレーヤーは、自身の小柄な体型をカバーすべく、ホーガンからスウィングの神髄を学び、ジーン・サラゼンからはバンカーショットを盗むなど、常に貪欲にプロの技を吸収していった。

そして、1961年。マスターズで首位を走るアーノルド・パーマーに1打差で迎えた最終ホール。G.プレーヤーの第2打は右のバンカーにつかまった。しかしその時にホーガンの言葉が浮かんだという。砂を掘って掘って掘りまくって身につけた技術を駆使して見事にピンそば1メートル強に寄せてパーセーブ。同じバンカーにつかまったA.パーマーは脱出に手こずってしまい痛恨のダブルボギー。そしてG.プレーヤーは外国勢として初めてグリーンジャケットに袖を通すこととなった。

その後もG.プレーヤーは快進撃を続けるが、メジャーの優勝争いでボギーを叩くと「試練を与えてくださり、ありがとうございます」と神に感謝したという。そして70年代、母国がアパルトヘイト政策を布いていた頃に、彼は銃を携えた警官に身辺を警護される日々を送ることもあった。そして試合中に暴漢に襲われることも少なくなかったという。もっと遡れば8歳の時に母を亡くすなど決して人生は順風満帆ではなかった。そんなG.プレーヤーはインタビュアーに対して常に言っていた言葉があった

「カギは、どれだけゴルフに熱い情熱を注ぎ込めるか、ですよ。そして大事なのは日本語で言う“コンジョー(根性)”と“ニンタイ(忍耐)”。それに尽きます」

61年、74年、78年のマスターズ優勝は、20代、30代、40代と3つの年代にわたってG.プレーヤーが成し遂げた偉業。息の長い競技生活を支えてきたのは、まさにこの精神があったからこそ、といえるだろう。

※チョイス No.198より

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