2017年シーズンでの現役引退を発表した宮里藍の引退ロードの舞台はアメリカに移った。そこで閑話休題。プロになりたての頃、藍を襲った悲劇、転じて喜劇(?)をご紹介しよう。

藍を襲った悲劇。支えてくれたのは家族

宮里家はいわずと知れたゴルフ一家。父・優さんの「いつか家族でゴルフがしたい」という夢のもと、兄妹全員がプロになりそれぞれが優勝を経験している。

「ゴルフは人格を育む道具。ゴルフができたって偉いわけじゃない。技術以前に人としてどう生きるかの方が大事なんだ」と、厳しく教えられた兄妹だが、堅苦しい雰囲気はなく、笑いがたえない温かい家族に囲まれ藍はすくすく育った。

史上初の高校生プロになった当時の大フィーバーについては語り尽くされているが、騒動のさなか藍が円形脱毛症に悩まされたことを知る人はあまりいない。深刻な事態を家族はどう切り抜けたのか?

現役高校生としてツアー初勝利を手にした2008年ミヤギテレビ杯(写真は2008年ミヤギテレビ杯最終日)

「取材やテレビ出演で思うように練習ができず気づくと頭に500円大の穴が……」と藍がいったのは19歳の頃だった。「円形脱毛症ができるほどプレッシャーを感じていたのか」と本人は落ち込んだが、家族の反応は“宮里家ならでは”だった。

「あら、あなたは髪の量が多いからちょうどいいじゃない」といい放ったのは母・豊子さん。騒動の渦中にいた藍の心労に気づいていた父は「オレのせいじゃないよ(笑)」と責任回避発言。

次兄・優作には「そういうことよくあるよ」と涼しい顔をされ、長兄・聖志から「マジックで絵を描いてやるから、そのまま空けとけ」といわれたときには「悩んでいるのがバカバカしくなって笑っちゃいました!」

画像: 固い絆で結ばれている宮里家(写真は2004年ダイキンオーキッドレディス最終日)

固い絆で結ばれている宮里家(写真は2004年ダイキンオーキッドレディス最終日)

家族の愛情をたっぷり受けて育った藍は「両親が私たちにやってくれたこと以上にできるとは思わないけれど、いつか私も結婚して子供が欲しいです」と語っていた。アニカもオチョアも引退後幸せな結婚生活を送っている。藍が安住の地をみつけるのはいつ?

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