尾崎将司。初優勝の舞台裏!@1971年日本プロ【Vol.5】
同じ組の島田と増田は、尾崎援護に回った!
最後の9ホールに入ると、優勝の望みを絶たれた島田幸作と増田光彦は、プレーのペースをグーンと速めた。杉本英世のスロープレーのせいもあるが、杉本の組と2ホールくらい間が開いてしまった。
島田と増田は尾崎援護に回ったのである。いくら組が違うといっても、追いかける杉本プレーが実際視野に入れば、やはり精神的な重圧があるはずだ。尾崎優勝の隠れたファクターがこういうところにもあったのである。
尾崎優勝のもうひとつの原動力になったのは、フェニックスは敵地でありながら準フランチャイズでもあるということだった。尾崎は四国徳島の生まれであり、西鉄に3年間いた。そのため多くの知人や友人が応援にかけつけ、これらの...