3日目、尾崎が4番から6番まで3連続バーディを奪い、一気に中嶋を抜き去ってトップにたった。8番でもまたバーディ。中嶋のスコアは動いていない。尾崎は8アンダー、中嶋は5アンダーである。

インに向かった尾崎組を追う。好調なプレーをしているはずなのに、尾崎の顔は苦し気だった。目頭に向かって皺が寄り集まっている。中嶋や加瀬のプレーには反応らしい反応も見せず、自分のプレーに精魂を傾けていた。相手は人ではない。コースだ。「ワンショット、ワンショット、自分の打ちたいショットをする。その積み重ねだ」といった2日目の談話を着実に実行しているように見えた。

画像: 着実に集中して一打一打を積み重ねる

着実に集中して一打一打を積み重ねる

11番 (422ヤード、パー4)でもセカンドショットを1メートルほどに寄せて、この日5つ目のバーディを獲る。12番でボギーを出したあと、 13番ですぐにバーディ。その後16番までパーがつづき、17番でバンカーショットをピンより7メートルほどオーバーさせボギー。インは 36だった。素晴らしいショットをしたあとの姿は、判で押したように胸を張ったフィニッシュをしていた。厚い胸を丸めるようにして球影を眺めやる時はあまり結果がよくない。

尾崎は自分のショットに対してすこぶる敏感に反応する。インパクトの手ごたえが即座に全身を貫くのであろう。精神集中力がよほど強いにちがいない。ひ とまとめに括りつけた神経の束が、僅かでも統合を欠くと鋭敏な体が間髪を入れず反応をしめす。尾崎のボディはまことに正直な、そして人一 倍精巧なマシーンなのであろう。

ゴルフは力だけのスポーツではない。技だけのゲームでもない。力と技を兼ね備えたゴルフを目指したい。尾崎はコースに執着する。「力と同様に技も」求めるコースに強く惹れる。日本にはそういうコースが少ない。スポンサートーナメントでは数えるほどしかない。ドライバーショットを飛ばしてウェッジでちょん。力か技か、どちらかひとつが、いや往々にして技だけが抜きん出ていればトップグループを堅持できる。

しかし「日本オープン」だけはちがう。特にこの両三年の開催コースはちがう。小樽は別格だった。スルー・ザ・グリーンが全てベント芝だったことがひと つの要因かもしれないが、フェアウェイ、セミラフ、ヘビーラフがショットの価値の有無を言わさず得失を与えるようにセッティングされていた。

画像: ピンを見据え、クラブを握る尾崎

ピンを見据え、クラブを握る尾崎

3日目、尾崎 は精魂傾けて「コースと戦った」。その成果が「68」だった。他のトーナメント、他のコースで出した「68」ではない。疲れきった表情で インタビュールームに現れた。「ティショットもセカンドショットも気が抜けないので、終わったあとものすごく疲れる。全ての条件が揃わないと60台のスコアは出ない。やり甲斐のあ る3日間だった。あすも頑張ってやりたい」

尾崎は「オザキ」という道具を精一杯駆使して「68」を出した。体がコースに反応した。中嶋や加瀬といった人に反応せずに。

12番 (191ヤード)のボギーはティショットを左のラフに入れ、そこからのアプローチを寄せきれなかったため。17番(182ヤード)はティ ショットをグリーン手前のバンカーに入れ、そこから7メートルほどもピンをオーバーさせたためのボギーだった。バンカー上手の尾崎にして は「あれ?」というような不出来なショットだった。エクスプロージョンというよりは砂を浅めにとってカット打ちしたように見えた。砂質が そういう打ち方を求めているのかもしれない。

(1991年1月、チョイスVol.60より)

その①の記事はこちら↓↓
1990年日本オープン(小樽CC)「誇りある敗者」その①

その③の記事はこちら↓↓
「誇りある敗者」その③尾崎は足踏み中嶋がジワリ 2打打差に。インへターンした

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