この日から6日前、つまり関東オープンが終わった日の夜、親交の深かった漫画家、和田義光(1913‐1990)のところへ電話をかけていた。

「先生、今晩は悔しくて眠れそうにありません。ホームコース(習志野)ということで、あれだけメンバーの方やクラブの人たちに、気をつかっていただいて期待もされていながら・・・。ほんとうに自分自身が情けなくてやりきれません」と涙を流さんばかりであった。

和田さんは「君の気持はよくわかる。しかし、優勝したとしたら、新聞や雑誌はなんという見出しをつけると思う。『尾崎過保護の優勝』という見出しになるんだよ。これじゃ君自身今よりももっとみじめな気持になるんだよ。

初優勝は絶対敵地に乗り込んで勝ち獲るべきなんだ。その意味で今度の日本プロはチャンスじゃないか、フェニックスという敵地に乗り込んで必勝を期してみなさい」といって励ました。

画像: 1971年関東オープンにて撮影。ホームコース習志野で開催されたが、実力を発揮できなかった。

1971年関東オープンにて撮影。ホームコース習志野で開催されたが、実力を発揮できなかった。

スタートを待つ尾崎の緊張は、男の意地にかけても関東オープンの雪辱と初のタイトルをこの日本プロで果たすんだという、強い決意と執念からきていたのである。

フェニックスカントリークラブは7105ヤードと長い。ミドルホールはほとんどが400ヤード以上で、465ヤードというのさえある。まず何をおいても飛ばさなければいけない。飛ばし屋が絶対有利である。

尾崎も「たしかに僕には有利なコースです。でもホールをセパレートしている松林が深いので、曲げたらまず1ストローク失います。それにグリーンまわりも難しいので、かならずしも楽観はできません」

小雨混じりの風はかなり強い。この風はロングホールや長いミドルホールではほとんどアゲンストになる。コンディションとしては最悪に近い状態である。

尾崎は初日の目標を2アンダーの70においた。70というスコアはコンディションの悪さを考慮に入れても、なんとなく物足りない数字である。だが尾崎にはひとつの計算があったのである。

画像: 尾崎将司。初優勝の舞台裏!@1971年日本プロ【Vol.3】
敵地に乗り込んでこそ、価値がある!

過去の試合を振り返ってみると、初日、2日と飛ばしていて最終日に崩れるというケースが多い。特に今年の中日クラウンズや関東オープンはその典型である。競走馬に例えるなら先行逃げ切りの馬である。しかし今の尾崎にはメンタル的に逃げ切ってしまうだけの力がない。

そこで彼は初日から首位を走るより、3日目まで好位置につけていて、最終日にチャンスがきたら一気にゴールに飛び込もうと考えたのである。

この試合は、好位差しという脚質で勝負しようとしていた。

(月刊ゴルフダイジェスト1971年11月号)

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尾崎将司。初優勝の舞台裏!@1971年日本プロ【Vol.1】2週連続でやってきた初優勝のチャンス。

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尾崎将司。初優勝の舞台裏!@1971年日本プロ【Vol.2】栄光の夕焼け雲!翼を赤く染めたジャンボ機がいよいよ離陸。

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尾崎将司。初優勝の舞台裏!@1971年日本プロ【Vol.4】大きな役割を果たした「初日に失った1打!」

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