後の世で名器と呼ばれるようになったギア同士を対決させる企画である「ギア!名勝負」。第4回は、主に2000年前後に、やさしいキャビティアイアンとして鎬を削ったキャロウェイ「X-12」とダンロップ「 ゼクシオ・ツアースペシャル」の2本のアイアンを紹介しよう。

身内からライバルへ! 今も続く両社の戦い

住友ゴム工業(現ダンロップスポーツ、以下ダンロップ)がキャロウェイゴルフと日本国内における販売代理店契約を結んだのは1988年である。キャロウェイのクラブは機能的にもデザイン的にも革新的で、国内でも急速に人気を伸ばした。

1990年代半ば過ぎには、ダンロップのゴルフ事業の半分以上を占めるまでに成長発展。当時のダンロップはプロ・上級者向けのモデルこそ強かったが、一般アマチュア向けのモデルは今ひとつで、キャロウェイのクラブはその穴を埋める上で大きな役割を担っていた。

画像: (左)キャロウェイ「X-12」(1998年発売)短いネックですべてに低重心と高慣性モーメントを追求。(右)ダンロップ「ゼクシオ・ツアースペシャル」(2000年発売)慣性モーメントが大きく反発性能にも優れ、飛んで曲がらないのが特徴

(左)キャロウェイ「X-12」(1998年発売)短いネックですべてに低重心と高慣性モーメントを追求。(右)ダンロップ「ゼクシオ・ツアースペシャル」(2000年発売)慣性モーメントが大きく反発性能にも優れ、飛んで曲がらないのが特徴

とりわけ主力は、ウッドではビッグバーサやビッグバーサ・ウォーバード、アイアンではビッグバーサアイアンなどがダンロップブランドの屋台骨を一方から支えていた。ビッグバーサアイアンは日本ではJV(ジャパンバージョン)シリーズとして知られたが、モデル名は「X-12」。後にキャロウェイのフラッグシップになるXシリーズのスターとなった記念すべきモデルだ。

日本でこのアイアンをいち早く使い始めたのが当時ダンロップ契約だった片山晋呉で、1998年にツアー初優勝している。当時の片山はドライバー、アイアンともキャロウェイで、彼がその後勝利を積み重ねていくきっかけとなった点でも、また国内でキャロウェイのブランド力を高める上でも、「X-12」の存在は重要だった。

画像: かつてはダンロップとクラブ契約をしていた片山晋呉

かつてはダンロップとクラブ契約をしていた片山晋呉

ところがちょうどその頃、ダンロップとキャロウェイの契約解消の話が浮上。ダンロップでは、最悪の事態を想定して以前からニューモデルの準備を進めていたが、解消が決定的になるとともに開発に拍車がかかり、1999年10月、新ブランド、ツアースペシャルゼクシオを2000年2月から販売すると発表した。

一方、その年の末にダンロップとの代理店契約を解消したキャロウェイは翌年1月から日本国内で新たにスタート。目玉は4月発売の「ERC ドライバー」。高反発ヘッドのパイオニアとして後にさまざまな話題を呼んだモデルだ。

キャロウェイから2000年に発売された初代E・R・C。価格は当時95,000円

それより前の1月、アイアンではビッグバーサ・スティールヘッドX-14がデビューしている。X-12の後継モデルだ。翌月、ゼクシオがいよいよ市場にお目見えして、全面的な戦いへと突入した。

ゼクシオアイアンは深いアンダーカットのキャビティバックで、トップブレードも当時の日本のアイアンとしては厚く、構えたときのイメージとしてはビッグバーサアイアンと共通するところも少なくなかった。ただ大きく違うのはステンレスのボディにチタンフェースを採用していたことで、これはその後も一貫して変わっていない。

形状といい構造といい、ゼクシオアイアンは必ずしもプロモデルではなかったが、片山晋呉がいち早く使い始め、この年終盤の残り3戦で3勝を挙げ、初の賞金王になっている。最後に逆転されたのは、奇しくも当時キャロウェイのクラブを使っていた谷口徹。アイアンはX-14を使用し、2001年には新たに開発されたX-14プロシリーズに替え、2002年には初の賞金王の座についた。

画像: 2000年代前半、賞金王争いを繰り広げた片山晋呉と谷口徹

2000年代前半、賞金王争いを繰り広げた片山晋呉と谷口徹

この時代の片山と谷口の賞金王争いは言わばゼクシオとXシリーズの代理戦争といってよく、その戦いは、松山英樹(ゼクシオではなくスリクソンではあるが)と石川遼とに大将を代え、今も続いている。

文/近藤廣

(月刊ゴルフダイジェスト2014年9月号より)

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