1989年にプロ入りしたアーニー・エルスもまた、レッドベターの愛弟子のひとりだ。191cm・95kgという恵まれた体格と高い身体能力もあって、'92年の南アフリカツアーで11戦6勝。G.プレーヤー以来の南ア3冠制覇をするなど、瞬く間に注目を浴びる選手となった。

1969年、南アフリカ・ヨハネスブルグ生まれ
幼少の頃はテニスをはじめ、あらゆるスポーツで
高い資質を見せたが、ゴルフの道を選んだ

そして’94年の全米オープンでメジャー初勝利を挙げ、'97年に再び全米オープン、2002年と2012年は全英オープンを制するなどメジャー通算4勝という輝かしい成績を残した。エルスは大柄でおっとりとした物腰から「The Big Easy(ビッグ・イージー)」という愛称で呼ばれ、抜群の体格バランスによって、たとえ調子の悪い時期でも予選落ちは少なく、安定感のある選手として評価されていた。

'02年、全英オープンで初優勝を飾り、クラレットジャグをもつアーニー・エルス

エルスのスウィングはまさに大きな体を生かしてゆったりを振るのが特徴。

永井延宏プロ「体の使い方がとにかく柔軟。構えは剛だけど、骨格や関節、重心移動など体の使い方で柔らかさを出している。シャットフェースなので、左腕を伸ばしてターゲットラインに対して長くリードしていくライン出しが特徴的」

エルスにとって、2012年の全英オープンは10年ぶりのメジャー制覇となった。首位を走っていたアダム・スコットを最終日の終盤に逆転。最終日68をマークし、通算7アンダーでメジャー4勝目を飾った。

エルスは選手として活躍する一方で社会貢献にも積極的だ。「資金的に限界のある家庭の才能ある若い南アフリカの子供たちを、プレー技術と教養を兼ね備えたゴルファーに育てたい」そんな思いから’99年、アーニー・エルス財団を設立し、2006年には世界的に有名なファンコートホテル&ゴルフエステート社と協力して「アーニー・エルス&ファンコート財団」を設立した。

画像: 財団を設立した年に日本へ来日。日本のジュニアのためのレッスン会も開かれた

財団を設立した年に日本へ来日。日本のジュニアのためのレッスン会も開かれた

アーニー・エルス&ファンコート財団のメンバーに選ばれるためには①南アフリカ国民②ハイスクールに在学中③平均ストローク80以下の実力を持つ、という3つの条件が必要となる。その条件をクリアし、メンバーとなると以下の経費が毎年財団から援助され、コーチの指導が受けられる。

●授業料(最大1万ランド※約12万円まで)
●ゴルフクラブ会員権とグリーンフィ(週一ラウンド)
●ドライビングレンジ会員権
●ティーチングプロのコーチング料
●SAJGF(南アフリカジュニアゴルフ財団)の会員資格
●キャロウェイフィッティングによるギアの提供
●キャロウェイのゴルフバッグ(毎年交換)
●ゴルフシューズ(年間1足)
●ゴルフボール(1か月に1ダース)
●グローブ(1か月に2枚)
●キャップ(年間3個)
●ウェア提供
●エントリーフィーと試合ごとに50ランドの食事代
●SAJGF、WGSAの全トーナメントの旅費・宿泊費・1日150ランドの食事代

さらにハイスクールを卒業したメンバーに対しても、プロになる可能性があると取締役会で認められた場合は最大3年まで同サポートが受けられるなど、まさにお金のことを一切気にせずにゴルフに集中できる体制が整えられている。愛国心の強さで知られるエルスは、プロで活躍すること、財団を設立したことなどすべてにおいて、南アフリカのゴルフのさらなる発展を目指しているのだ。

このアーニー・エルス&ファンコート財団から世界へ羽ばたき、いま大活躍しているプロゴルファーは数知れず。次回はそんなアーニー・エルス&ファンコート財団卒業生の話に触れる。

※チョイス No.198より

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