ゴルフ場のエチケットの問題は今に始まったことではない。その一例に洗面所の「櫛(くし)」にまつわる話があるというのは、マナー研究家の鈴木康之。著書「ゴルファーのスピリット」からゴルフ場のエチケット問題の一例をご紹介。

エチケットが崩れていく過程

櫛一本の話を聞いたのは、いま計算してみたら、1980年ごろということになります。コースでよくご一緒する人に、私より2まわり以上も年上の、当時東京・江東区にあった東雲GCのメンバーがいて、その人から聞きました。東雲が近く栃木県に移転するので残念だと言っていました。東雲が東京から消えたのは81年です。

櫛一本が、東雲の52年開場当時の話か、その頃のゴルフ場一般の話か定かではありません。私が始めた頃よく行っていた湯河原CCや桜ヶ丘CCが櫛一本だった記憶も曖昧ですが、ある日、洗面所の鏡の下にそれまで見なかった「消毒済」と「使用済」と書かれて仕切られた大きなプラスチックの櫛箱が置かれるようになり、ふーんと思った記憶があるような気がします。

ゴルフ場の洗面や浴室の櫛ははじめ1本だったそうです。ちり紙箱の脇に置かれていて、人々は鏡の前で整髪すると、ポマードを塗っている人が多い時代でしたから、湯を出して油と抜け毛を流し落とし、ちり紙でよく拭き取って、櫛を戻しておく。これ即ち、ゴルフ規則がプレーの前に条件として言うコース使用上のエチケット「プレー跡の後始末」どおりの作法でした。

みんなが当然のようにそうする時代でしたから、洗面所に櫛は1本で足りました。中には、洗わずに置いていく人、ちゃんと丁寧に拭き取らない人もいたでしょうが、あとの人は、他人が修復し忘れたボールマークを直すのと同じこと、文句を言わずに自分で拭いてから使い、また拭きとって置いていくというクラブ社会における当たり前の仕組みがあったわけです。

画像: クラブハウスの洗面台には必ず置いてある櫛。実は昔は1本を使いまわししていた

クラブハウスの洗面台には必ず置いてある櫛。実は昔は1本を使いまわししていた

あるとき、そうしない人が現れました。汚れたまま置き去りにされた櫛を見て不愉快になった人が「櫛が汚れたままになっておるではないか」とトイレ係のおばさんを叱って洗わせたのです。

この話がハウス委員会に伝わりました。「櫛はきれいにして戻しましょう」の貼り紙を出すことが決まりました。支配人は首を傾げました。そんな貼り紙はここのクラブにはそうしないメンバーがいるということの証しで恥ずかしいことではないか、と思いましたが、口にはしませんでした。

またそうしない人とそれを怒る人が現れました。支配人が呼びつけられました。「ケチなこと言わんで櫛をたくさん置いておけよ。汚れたものは係に洗わせればよい」と。ケチはどっちだ、と支配人は思いましたが黙って受け、委員会に上げました。委員会はそれはそうだとうなずきました。そればかりか、公衆衛生がやかましく言われるご時世、洗浄ついでに消毒して「消毒済」と明記することにしました。支配人は「消毒済」には恐れ入り、ただ「使用用」とするだけでいいじゃないか、と思いましたが......。

こうして、今日のような櫛箱が置かれる時代になったのでした。......オシマイ。

前述の東雲の人はよく「私が支配人ならこうするね」といってゴルフ場のおかしなところを指摘しては揶揄する人でした。櫛1本の話では、「畏れ多くも委員の皆様、当クラブは、櫛は1本のままで通すべきではございませんか、と睨んでやったんだがね」と。

「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より

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