“仕付け糸”と聞いて思い浮かぶものといったら着物や洋服が多いだろう。しかしゴルフマナーにも仕付け糸があると話すのはゴルフマナー研究家の鈴木康之。自身の著書「ゴルファーのスピリット」から、さりげないマナーを身につけたゴルファーたちのエピソードをご紹介。

マナーはいい意味での“マンネリ”

仕付け糸。いまでもあることはありますが、昔は着物にはもちろん洋服にも仕立て下ろしには必ず付いていたものです。縫い目や折り目をきちんと整えるための本縫いの前の糸で、「絹物には絹糸、木綿には瓦斯糸」とこだわるほど大事な働きをする糸でした。仕付け糸を抜いてもきちんと付いているのが本物の仕付けと言われます。親の仕付けという場合の仕付けはこの裁縫用語が元です。躾はちょっと出来過ぎの当て字です。

マンネリズム(Mannerism)には語幹にマナーがあります。英語では妙な癖という意味で、定型化(マンネリ)の意味になるのは日本だけのことのようですが、まぁ、マナーはいい意味でのマンネリ、いい意味での癖と考えればいいでしょう。

マナーは自然に出るもの、とっさの時にでもさっとでるものでなければなりません。その日の気分によってしたりしなかったりするというものではなく、いつでも自然にそうなる定型でないと本物ではありません。それには、三つ子の魂百までの幼児教育がよろしく、鉄は熱いうちに鍛えよ、初めが肝心、という話になるのでしょうか。やっぱり氏素性、家柄だろう。そう思いたくはありません。

画像: ショット後のプレーヤー自身の後始末が重要なのだ

ショット後のプレーヤー自身の後始末が重要なのだ

茨木CCでの日本オープンでピーター・テラベイネンについたキャディさんに聞いた話です。メンバーの息子さんが、ゴルフ部の学生三人とやってきた。スタート前に「憧れの茨木CCに来ました。今日はご迷惑かけると思います。よろしくお願いします」と挨拶したところから今どきの若者とは違いましたが、次にごそごそとバッグから砂袋を取り出しました。

「それは私にまかせて、今日は存分に楽しんでいってください」とそのキャディさんがいったが聞かない。一日中「これはプレーのうち」と言わんばかりにさり気ない修復作業だったそうです。「さわやかな若者たちで本当に心地よい一日でした」

大先輩、平山孝さんが昭和三十年代に著した『泣き笑いゴルフ作法』にもいい話があります。滞欧中、コースで英国人家族と仲良しになった。白髪の夫妻はキャディをつける。三人の息子は自分で担いで回る。それはいいとして、食堂に入る時、一番下の息子だけは外の芝生の上で持参のランチを開ける。平山さんが「君だけなぜ」と聞くと、彼の答えはきわめて明解。「兄さん二人はもう学校を出て働いている。僕はまだ働いていないからね。卒業したら僕も食堂で食べるさ」

友だちにお医者さんがいます。まだ四十代なのですが、いつもニッカ―ボッカーズでキメています。もう一つこの人には独特のスタイルがあります。ちゃんとキャディのつくホームコースでも、左の肩に砂いっぱいの目土袋をかけてフェアウェイを歩きます。

彼にはゴルファーのお父上がいて、宜しき薫陶を受けているはずでしたが、しかし、目土袋歴はお父上からのものではないとのことです。自らが始めた習慣です。四十歳代半ばから仕付け糸で自ら付けた定型です。動機は簡単。目土砂はショットごとの必携品だと気づいたからです。もちろん仕付け糸はもうとっくに取れています。どこのコースへ行っても彼の左肩に砂袋がないときはありません。

「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より ※一部改変

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