どうやったら狙ったところにボールを飛ばせるのか。それはゴルファー全員が抱く疑問ではなかろうか。ベテランゴルフライター塩田正が故・中村寅吉への取材を通して教わった、ボールを正確に目標へ運ぶコツを、著書「ゴルフ、“死ぬまで”上達するヒント」よりご紹介。

ボールの先の仮想飛球線に視線を送る

ゴルフにはやらなくてはダメだし、やり過ぎてもダメという動きがたくさんある。「頭を残す」というのも、そのひとつだ。

インパクトで頭を早く上げ過ぎると、上体が起きてしまうし、残し過ぎると体重が左へ乗っていかなかったり、肩が目標へ向いていかなかったりする。ほんとうにゴルフは難しい動きが多い。

私は学生時代、校庭の隅の10ヤードほどのインドア練習場で、原田盛治先生という東京大学出身で、かつての日本アマチャンピオンに教わっていた。彼はまず「ヘッドアップに気をつけて」と、打席に立った私に注意した。

何しろ初めてクラブを握り、緊張でオロオロしていたところへ「頭を上げるな」という注意だったもので、ただひたすら頭を残すことに専念してボールを打った。

旧制中学、高校、そして大学の途中まで、陸上競技の投てきを専門にやっていたので腕力には自信があったのだが、頭を残して打つようになってから、練習場の布の的を叩く音も一段と高くなったように感じられた。

私は頭を残して打った結果が知りたくて、こっそりと誰もいないグラウンドでボールを打ってみた。ところが私の期待を乗せたボールは、左のテニスコートのフェンス際から、野球場を大きく横切って、右の深い草むらの中に消えて見えなくなった。大スライスである。

こんな私を初ラウンドに誘ってくれたのは、元・文部次官のIさんだった。コースは我孫子ゴルフ倶楽部である。

今の時代では、我孫子ゴルフ倶楽部のような名門に初ラウンドに行くなど思いもよらない話だが、昭和29年ごろは、そもそも今でいう名門コースばかりで、このころに始めた人の初陣は、たいていがその種のコースのはずだ。

この初ラウンドで、私はIさん愛用の4番ウッドを折ってしまった。ボキッと両手の中でグリップが2つになったときには、もう遅かった。

当時、クラブは超高価品で、就職して、私が7本セットを月賦で買ったときには、1カ月の給料に近い値段だったと思う。Iさんも4番ウッドを失って、大変ショックを受けたはずだが、恐縮して小さくなっている私に、そんなことはおくびにも出さず「君のショットはすごいね、よく飛ぶよ」と、かえって慰めてくれたのである。

私は、大荒れゴルファーのまま、ゴルフ雑誌の編集者になったのだが、入社して3、4年が経ち、1ラウンドに何回か、会心のドライバーがフェアウェイをとらえられるようになったある日、寅さんのところへ何回目かの取材に出かけた。

寅さんはちょうど弟子の練習をみているところだった。突然「どこを見ているんだよ。いつまでもボールばかり見てんじゃないよ」と、その弟子を叱り飛ばした。その後の寅さんの説明によれば、アドレスからインパクトまでボールばかり見ていると、振り抜きが小さくなり、さらに目標に打つという集中力がなくなって打球の正確さが失われてしまうということだった。

寅さんは、ボールを見ているのは「バックスウィングまで」で、その後はボールの先の1メートル以内の仮想飛球線に視線を送るのだ、とその弟子に説明した。

画像: ダウンスウィングに入ったら、視線はボールの先1メートルの仮想飛球線

ダウンスウィングに入ったら、視線はボールの先1メートルの仮想飛球線

私はこの言葉を聞いていて、私も寅さんの弟子と同じように、あまりにもボールばかりを一生懸命見つめ続けていたのではないかと直感した。

それからというもの、私は思い切って、ボールの先の仮想飛球線へ視線を注ぐようなつもりでボールを打った。その結果、大学時代に注意された「ヘッドアップするな」の呪縛から解き放たれて、クラブがずいぶん楽に振り抜けるようになった。

もちろん「ヘッドアップするな」が、今でも鉄則であるのはいうまでもない。原田先生はそれを強調したわけで、先生には何の責任もない。できの悪い私のほうがやり過ぎてしまったのである。

「ゴルフ、“死ぬまで”上達するヒント」(ゴルフダイジェスト新書)より

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