トム・ワトソンの妻、ヒラリー・ワトソンが63歳という若さで亡くなった。生前の彼女と親交の深かったゴルフエディター・大泉英子が、強くて、明るくて、そして美しかった“新帝王の妻”との秘話を明かす。

乗馬のオリンピック候補になるほどのスポーツウーマンだった

アメリカでは感謝祭で家族が楽しいひと時を過ごしている頃、私の友人の1人の訃報が飛び込んできた。トム・ワトソンの妻であるヒラリーがすい臓がんで63歳という若さで亡くなったというのだ。なんでも2年半前にガンが発覚し、化学療法や手術を何度も試みていたという。トムにはよく「ヒラリーは元気?」と話をしていたが、彼は今年の6月、マスターカード選手権で来日した時も何もヒラリーの病状については教えてくれなかったので、まさかガンに冒されていたとは思わなかった。私は生前、彼女には大変親切にしてもらっただけに、1人の有名人選手の奥さんが亡くなった、という以上の衝撃を受け、悲しい気持ちよりも、まだ彼女の死が信じられないでいる。

ヒラリーはジンバブエ(旧ローデシア)の出身で、米ゴルフ誌によれば、ローデシアンオリンピックチームの高跳びの選手だったという。だが、当時ローデシアはアパルトヘイト政策をとっており、IOCから参加が許可されなかったため、モントリオールオリンピックに出ることができなかったという話だ。彼女の運動神経の良さは、乗馬が得意で、「カッティングホース」というウエスタン式の乗馬術の競技で何度も上位入賞していることからも伺える。彼女のFACEBOOKには、よく乗馬している写真や乗馬競技で表彰された時の写真がアップされていた。彼女は真のスポーツウーマンだったのだ。トム自身もヒラリーの影響で乗馬をするようになったそうだが、ハンデで言えば、ヒラリーが1〜2であるのに対し、トムは16くらいらしい。ブロンドヘアで美人。そして快活で親切な女性だった。

画像: (写真はGetty Images)

(写真はGetty Images)

また、これはあまり本人としてはほじくり返して欲しくないかもしれないが、興味深い話がある。彼女はもともと全米プロシニアチャンピオンのデニス・ワトソンの奥さんだった。ヒラリーとデニスが離婚し、トムと最初の妻、リンダが離婚すると、その後二人は再婚したのだが、再婚してもたまたま苗字がワトソンだった、というのは、偶然とはいえおもしろい。私はトムと再婚した後のヒラリーしか知らないので、デニスとの関係などはよくわからないが、とにかく彼女の周りにはいつも友達が多く、とても賑やかな人だった。トムはそんな彼女を私にオーガスタで紹介してくれたのだった。

東日本大震災後はチャリティに快く協力してくれた

彼女に出会ってから、彼女には何度も助けられた。2011年3月、東日本大震災が発生して約1ヶ月。日本中が未来の見通しも立たない絶望感や悲しみに包まれていた頃、アメリカではマスターズが開催されたが、私が当時のゴルフ誌で選手たちに協力を呼びかけていたチャリティ活動に快く協力してくれて、後日カンザスの自宅からトムのサイン入りのウェッジやゴルフウエアなどを送ってくれたのだ。「もちろん、協力するわよ!トムも大好きな日本がこんなことになってしまって悲しんでいるし、私たちでできることはなんでもするから言ってね」

言葉でいうのは簡単だが、実行するのはなかなか難しい。しかし彼女は“実行の人”。しかも気取りがない。彼女のフレンドリーさと明るさ、強さは、眩しいばかりだった。米ツアーには美人妻は多くいるが、彼女とエイミー・ミケルソンほど性格がよく、勇気があり、どんな人に対しても手を差し伸べてくれるような女性はなかなかいない。

特に最近の若い米国人選手の奥さんたちは「私、セレブ妻なの」という雰囲気がプンプンしていてちょっと苦手だが、ヒラリーたちは違う。美人である上に人格者。少しはヒラリーたちを学んでほしいと思う。

誰にとっても、強くて美しいヒーローだった

また、こんなこともあった。私がマスターズの取材中、トムに話を聞こうと、彼がランチをとっているクラブハウス外のテラス席に近づき、話しかけた時のこと。遠くで私の様子を見ていたオーガスタ関係者が、トムに気を遣って「取材はダメですよ」と私をたしなめに来た。その時、同じテーブルに座っていたヒラリーは「彼女はいいのよ!私たちの友達だから、大丈夫なの」とすかさず言ってくれて、つまみ出される寸前で救ってくれたのだ。それ以来、そのオーガスタ関係者からの覚えもめでたく、親しくしているが、彼女の一言が大きかったのはいうまでもない。「取材で忙しいだろうけど、時間を合わせて一緒にお茶しましょう」とか、「デザート食べましょう」などと言ってくれる奥さんも、なかなかいなかった。彼女を失い、本当に寂しい想いでいっぱいだ。

彼女の人としての器の広さ、懐の広さは、トム以上だな、と思うことが他にもある。これもまたオーガスタでの話だが、トムの組について歩いていたヒラリー軍団(ヒラリーと女友達)に私も合流し、一緒にプレーを観戦していた時のこと。18番ホールのセカンドエリアでトムと一緒に回っていたカミロ・ビジェイガスたちがグリーンが空くのを待っている間に、「先にグリーンに行きましょう」と言って、女同士ペチャクチャとおしゃべりしながら待っていた時、ビジェイガスが打った球が突然、ボンっと私のゴルフシューズにダイレクトに当たり、その球は勢いよく跳ね返って隣接する9番ホールのグリーン下まで転がり落ちてしまったのだ。私自身も一瞬の出来事で何が起こったのかわからなかったが、足に痛みが走り、すごい勢いで球が跳ね返ったのをヒラリーたちも見て「あら〜!大丈夫だった? 頭とかに当たらなくてよかったわね〜」と皆が心配してくれた。

しかし、そのホール、ビジェイガスはボギーを叩き1打足りず予選落ち。偶然の事故で、私が悪いわけではないのだが、私のシューズに当たらなければ、ボギーを叩くこともなかったかもしれないと思うと、申し訳ない気持ちで気分は重かった。そんな私を思いやりヒラリーは「あなたが悪いわけじゃないけど、たしかにバツが悪いわよね。知らないふりをして一緒にクラブハウスに行きましょう」とニヤリと笑って言ってくれたのだった。その言葉と彼女のいたずら娘のような表情は今でも鮮明に覚えているが、その一言に私も救われた想いがする。

万事がそのような感じで、私のようなアジア人記者に対しても昔から知っているような雰囲気で接してくれたヒラリー。メンタルが強い彼女でもさすがにガン治療は辛かったに違いない。最後はホスピスで家族に看取られ亡くなったそうだが、天国では楽しく好きな乗馬をしながら、豪快に笑っていてほしいと願う。亡くなったヒラリーに対して「彼女は僕のヒーローだ」と語ったトム。私を含め、彼女を知る人たちにとっても強くて美しいヒーローだった。

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