ダスティン・ジョンソン、ザンダー・シャウフェレ、ブライソン・デシャンボーら世界ランカーが大挙して出場するアジアンツアーのシーズン開幕戦PIFサウジインターナショナルが開幕。強豪を抑えトップに立ったのは懐かしのあの選手だった。
画像: 2016年にはリオ五輪にも出場。才能は間違いなく、これからも期待できる(写真は2016年 リオオリンピック 撮影/KJR)

2016年にはリオ五輪にも出場。才能は間違いなく、これからも期待できる(写真は2016年 リオオリンピック 撮影/KJR)

グレッグ・ノーマンがCEOを務めるLIVゴルフインベストメントがアジアンツアーに3億ドル(約344億円)の巨費を投じインターナショナルシリーズと銘打ってアジア各国でビッグイベントを開催するが、その皮切りがサウジインターナショナル。LIVはもともとサウジアラビアのオイルマネーが背景にあり新ツアー構想を持つノーマンサイドはすでにトッププロに莫大な契約金を提示したという話がある。

事実イアン・ポールターやリー・ウエストウッドが3000万ドル(約35億円)を提示されたと認めており、英ゴルフマンスリーはウェブサイトで「デシャンボーがサウジスーパーリーグの顔に抜擢され1億3500万ドル(約155億円)をオファーされた」と投稿。すぐさまデシャンボー本人が「Wrong」=違うと否定するなど情報が錯綜している。

そんな外野の盛り上がりはどこ吹く風。「(ラウンド中)59も頭をよぎった」というのがイタリアの28歳マテオ・マナセロ。ノーボギーの8アンダー64をマークし並み居る強豪を凌駕し単独トップに立った。

覚えているだろうか? 16歳で当時の最年少で全英アマに優勝するとトム・ワトソンとスチュワート・シンクがプレーオフを演じたターンベリーの全英オープン(2009年)でローアマに輝き、2010年のマスターズでも最年少予選突破記録(当時)を塗り替えた天才少年。マスターズ直後にプロ転向した当時マナセロはスペインの英雄せべ・バレステロス自身が後継者に指名するなど“せべ二世”の呼び声が高かった。

プロになっても好調は続き11年に欧州ツアー初優勝。ドリンキングエージ(飲酒年齢)に達していない18歳にも関わらずワインで勝利を祝いちょっとした物議を醸してことも。しかしその批判も翌年3勝を挙げて跳ね返し20歳で世界ランクトップ25入り。若手ナンバー1としてセンセーショナルな話題を振りまいていた。

ところがその後絶不調となり14年には予選突破わずか1試合。シードを落とし18年にはレギュラーツアーのカードも失った。チャレンジツアー(下部ツアー)、さらに下のミニツアーと彷徨ったマナセロの名を聞くことはなくなった。

ようやく復活の兆しを見せたのが2年前。「ここ数年は苦しかった。ショットがどこに飛ぶかわからないほど曲がって心と体がバラバラになってしまった」とバーンアウト状態だったことを認めたマナセロ。「皆に才能があると言われ自分でもそう思っていた。でも才能に頼って何かをちょっと手直しするんじゃダメだっていることに気づいた。心技体すべてを1から新しく作り直す作業を続けてきた」

「技術的にもよくなったしゴルフに向き合う姿勢も変わったけれど練習でよくても実戦ではまだ自信がなかった。でも今日は1番でグリーンを外したとき難しいアプローチを寄せてパーをセーブすることができた。いい流れを自分で作ってそれをキープできたのが何よりうれしい。ようやく競技を楽しめるようになったよ」

未来のスーパースターと騒がれながら消えていく選手は多い。だがマナセロは紆余曲折を経てこうして表舞台に戻ってきてくれた。苦しんだ分だけ大きく成長したはず。天国のセベもきっと微笑んでいるに違いない。

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