第104回全米プロゴルフ選手権は優勝経験のないニューフェースが束になって上位争いを繰り広げたが、最後はツアー通算14勝を誇るジャスティン・トーマスがウィル・ザラトリスをプレーオフで下し自身2度目のワナメイカートロフィーを掲げた。そんななか最後まで優勝争いの先頭を走ったチリのミト・ペレイラの悲劇と希望の物語とは?

先に通算5アンダーでホールアウトしたトーマスとザラトリスがクラブハウスリーダーの座に就いたころ、ペレイラは17番で3.5メートルのバーディパットを外している。それが決まっていれば「展開は変わっていた」と本人。最終ホールを迎え2人との差はわずか1打。勝つためには難易度ナンバー1の18番でなんとしてもパーをセーブしなければならなかった。

画像: 海外メジャー「全米プロゴルフ選手権」で最終日18番まで優勝争いを演じ続けたミト・ペレイラ(写真/Getty Images)

海外メジャー「全米プロゴルフ選手権」で最終日18番まで優勝争いを演じ続けたミト・ペレイラ(写真/Getty Images)

「ラウンド中ずっと緊張していたけれど、18番だからといってとくに硬くなったわけではなかった」とペレイラはいうがはたから見ると明らかにテンポがおかしかった。右に大きくカーブしたティーショットはラフを超え右の池(クリーク)に吸い込まれ白球はプカリと水面に漂った。

「正直池はまったく頭になかった。眼中になかったのにまさかあそこで(池)に捕まるとは……」

かつてフランス人のジャン・ヴァンデ・ベルデが全英オープンの最終ホールで3打リードし優勝確実と思われながらクリークに入れてトリプルボギーを叩きポール・ローリーにメジャー優勝を譲り『カーヌスティの悲劇』とうたわれたものだがペレイラにとって18番の池ポチャは『サザンヒルズの悲劇』。同郷の朋友の優勝を心待ちにしていたホアキン・ニーマンがグリーンサイドで心配そうに見守る中、残り203ヤードの3打目はグリーンをとらえることができず万事休す。結局ダブルボギーを叩き通算4アンダー、3位タイに甘んじた。

チリの首都サンティアゴ出身で物ごころついた頃にはプラスチックのクラブを振り回していたというペレイラ。アマチュア時代から地元で名を馳せ、高校を卒業するとアメリカにゴルフ留学。テキサス工科大学に入学したが1年で中退してプロになった。

ラテンアメリカツアー、コーンフェリーツアーと地道に階段を上り昨シーズン、コーンフェリーツアーで3勝を挙げて今季PGAツアーに昇格。ルーキーイヤーの初戦フォーティネット選手権でいきなり単独3位に入って注目された。

しかしそれ以降ツアーのぶ厚い壁にぶつかり思うような結果を出せず最近ではチューリッヒクラシックで腰を痛め体調は万全とはいえなかった。そんな中掴んだメジャーの舞台での優勝のチャンス。

「こういう形で終わりたくはなかったけれど今週は本当にいいプレーができたと思う。正直18番のティーでは勝てると思った。池につかまったのは悲しかった。できることなら巻き戻してティーショットをやり直したい」

「3日間いいゴルフができて最後は躓いでしまったけれど、緊張したとき自分がどんな状態になるのか学ぶことができた。次の機会にはもう少ししっかり(心の)準備ができると思う」

ホールアウトするとニーマンをはじめ南米の仲間や家族に出迎えられ健闘を讃えられた。アメリカで近所に住み旅先では同じ家、あるいは近くの家を借り、毎日のように練習も食事も一緒にする仲間たちに「本当は優勝する姿が見せたかった」。

悔しさと達成感が相半ばする表情で期待のルーキーは次なるチャンスを見据えていた。

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