2022年、LPGA(米女子ツアー)にルーキーとして参戦した渋野日向子。メジャー大会のシェブロン選手権4位、AIGオープン(全英女子オープン)3位と結果を残し、シード獲得を果たしたものの「悔いの残る一年」と振り返る。2019年から渋野日向子を追いかけてきた、みんなのゴルフダイジェスト編集部員でプロゴルファー・中村修が2回に渡ってスウィング改造以降のシーズンを振り返る。

ピンチから劇的にV字回復する姿はファンを魅了し、そのプレーを一目見ようと多くのギャラリーを引き連れていた渋野日向子選手。私も19年3月の「Tポイントレディス」で初めて渋野選手の取材をしてから渋野選手に魅了されたうちの一人です。19年の活躍からスウィング改造を施して開幕した21年を少し振り返りましょう。

2019年に彗星のごとく現れ、ルーキーで5勝とAIGオープン(全英女子オープン)制覇の快挙を成し遂げ、ゴルフ界を席巻した渋野日向子選手。メジャーを制した権利でLPGA(米女子ツアー)参戦の資格が得られましたが、時期早尚と2020年は国内ツアーに専念しながら海外メジャー参戦と米女子ツアー予選会を目指すつもりでいました。

しかし、ここで全世界を襲ったコロナの影響が表れます。国内ツアーは6月まで中止になり、再開した「アース・モンダミンカップ」では予選落ちでの開幕となりました。8月の「スコットランドオープン」、「AIGオープン」でも予選落ちし、9月の「ANAインスピレーション」から10月まで4試合LPGAに参戦しますが、最高位は24位に終わり、10月末の「三菱電機レディス」では予選落ちと苦しいシーズンを送っていました。

19年は振り切れるスウィングでピンを狙い、アプローチもピッチエンドランだけという少ない武器で戦ってきた渋野選手は、ツアーが再開されるまでの期間に、LPGA参戦に向けたドロー一辺倒だったスウィングから、フェードも打てるスウィングへのマイナーチェンジと、アプローチのバリエーションを増やすための技術向上の時間を青木翔コーチと過ごしてきましたが、思ったような結果には結びつきませんでした。

その後11月の「エリエールレディス」で5位、最終戦の「ツアー選手権リコーカップ」で3位タイと復調し、12月に開催された「全米女子オープン」では3日目まで首位に立ち、4位で終えました。実はこの頃には、すでに青木コーチの元を離れていたようです。コーチから離れ自分なりにスウィングを見直し復調してきていましたが、2021年の国内ツアー開幕戦では大きな変化が見られました。

画像: 左は2019年のトップ。右は右肩よりも高く上がらないフラットでコンパクトな2022年のトップ(写真/姉崎正(左)、大澤進二(右))

左は2019年のトップ。右は右肩よりも高く上がらないフラットでコンパクトな2022年のトップ(写真/姉崎正(左)、大澤進二(右))

「コーチと離れたとまだ言っていないんですけど(笑)。青木コーチと離れたのは事実です。自分で考えてや れることはやりたい。卒業したという感覚。わからないことがあれば 頼ってくれていいよといってくれて。その面はありがたい。心置きなくやっていける。まだこれから不安はありますけど 、決めたことはやり通したい。(全英の優勝などコーチなしでは考えられなかったと思いますが、改めて青木コーチについてお願いします、との質問に)2017 年から青木コーチに習い始めたのですが、 2017年のプロテストに落ちたので出会うことができた。もし落ちていなかったら出会うことがなかったので、落ちてよかったとも思う。指導だったり人柄だったりで、ここまでこれたと思います。なかなか恥ずかしくて言えないのですが、青木さんがいてくれなかったら今の自分はいない。感謝しかないです」

21年の開幕戦では、初日を終えた会見でこう話しました。それまでと比べるとフラットでコンパクトなスウィングへという大きな変化に、現場にいた記者やテレビ中継をご覧になった皆さんも驚かれたはずです。改造の理由は、ドライバーで出ていた左へのミスをなくすこと、安定性、再現性を高めることにありました。

今、目指しているスウィングについては横振りの円のようなイメージだと答えてくれました。

「トップの位置を気にしています。今までは高めに上げていたのをちょっと低めに、トップを上げたときに自分の右肩よりも手が上がらない、動画で見るとクラブが自分の肩より上がらない、右肩が見える、というのを目指しています。縦振りというか横振り、円っぽいというのを目指しています」

青木コーチから卒業し、それまで積み重ねてきたスウィングもすべて捨て、ゼロから作りなおした渋野選手。わずか3か月のオフの期間にあれだけの大きなスウィングチェンジをし、それをやりきるという強い意志を貫き21年を戦いました。

3月に開幕してからトップ10に入ったのは9月になってからと苦しい半年間を過ごしていました。しかし、9月は4位タイ、8位タイ、5位と確実に何かをつかみ10月には「スタンレーレディス」と「三菱電機レディス」で優勝し、復活を印象づけました。新しいスウィングを磨き続けた成果を見せ、年末のLPGA最終予選Qシリーズへと向かいました。

画像: ダウンスウィングのシャフトが描くスウィングプレーンは19年(左)よりもフラットで浅い入射角で下りてきている(写真/姉崎正(左)、大澤進二(右))

ダウンスウィングのシャフトが描くスウィングプレーンは19年(左)よりもフラットで浅い入射角で下りてきている(写真/姉崎正(左)、大澤進二(右))

2週にわたり8ラウンドで出場順位を決めるQシリーズでもドラマが待っていました。4ラウンド行われる第1週目の第2ラウンドを終えて72位タイと苦しい立ち上がりから3日目に66、4日目にも70とスコアを伸ばし24位タイで2週目へと進みます。しかし、順位を7位タイまで上げたあとの第7ラウンドでまさかの79を叩き29位タイまで後退します。最終日を69でまとめ20位タイに入り、見事に22年シーズンにLPGAに参戦する権利を獲得したのです。

スウィングのチェンジをしながらも「振り切る」という青木コーチのもとで叩き込まれた基礎を忘れずに、改造したスウィングは、ドライバーの飛距離と方向性、弾道の高さを手に入れました。22年にLPGAでどんなプレーを見せてくれるのか、と期待しながら3月の「HSBC女子選手権」をチェックしました。22シーズンのついては後編で振り返ります。

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