伊澤塾塾長の利夫は利光や西川哲、小山内護、立山光広、細川和彦といった日本プロゴルフ界で凌ぎを削っていた選手をゼロから育て上げた。その功績はジャンボ尾崎をも唸らせた。そして秀憲も自身が同じ指導者としてキャリアを積んでいるからこそ、その凄さを体感している。利夫が数多くのプロを輩出してきたルーツを紐解くと、ゴルフへの並々ならぬ情熱と塾生の夢を後押しする覚悟が見えた。

塾生と衣食住を共にした

「起きろ! 朝だぞ!!」

勢いよく扉が開くと塾長直々のモーニングコールが室内に轟いた。眠たい目を擦りながら塾生達は言われるがままに準備を始めた。中には塾長の目を盗み、ギリギリまで横になろうとする者もいたがその作戦はあえなく撃沈する。そして塾長からの愛の鞭が体に刻まれ、身も心もシャキッと覚めるのだった。支度を済ませ寮の近くにあるいつもの中学校のグラウンドへ向かった。

「しっかりリズムを整えながら走りなさい」

靴を履きジャージに身を包んだ塾生達に塾長からの檄が飛ぶ。さらに集団に混じって自らも体を揺らしながら地面を蹴った。うっすらと額に汗をかき、全身から湯気が湧き立っていた。ランニングが終わると、塾生の手にはサンドウェッジと大量のボールが入った袋が握られ、中学校のグラウンド各所に散らばった。もちろんその中に塾長も含まれ、一心不乱にクラブを振り続け白球を飛ばした。時に一人一人に声をかけ身振りを交えながら指導にあたった。自身も共に汗を流しゴルフ以外でも、自宅を寮代わりに十人以上の塾生と寝食を過ごした。

これほどまでに教え子と生活を送る指導者が現代では少ないからこそ、「一緒になって練習してましたからね。祖父が指導者としてすごいと感じたところですね」と秀憲は利夫が塾生に寄り添う様を振り返りながら話してくれた。

すべては“プロゴルファーになりたい“という志を抱き、伊澤塾の門戸を叩いて訪ねてきた青年達の夢を叶えるため。親元を離れて覚悟を決めた塾生に誠心誠意、尽くす1つの形が利夫自身が彼らにつきっきりで過ごすことだった。

元々は息子である利光の夢を叶えるために始めたゴルフ特訓の日々。陽が昇る前の薄暗い時間から幼き利光と中学校のグラウンドをランニングし、それが終われば腰にロープをくくりつけタイヤを引きながら全力で走った。そしてサンドウェッジを握ればベアグランドや砂場から莫大な量の球を打っていた。

すべては親子の二人三脚から生まれたメニューであり、教え子との距離感の近い理由もここが原点だった。息子のためを思い課していた鍛錬の様子が巷で噂になり、やがて伊澤塾として周知されていったわけだ。

伊澤塾の始まりは利光の「プロゴルファーになりたい」という夢を叶えるために、利夫が二人三脚で歩んだゴルフ特訓からだった

さらに利夫は利光がプロになる決意をした時、同じもしくはそれ以上の熱量でゴルフに向き合う覚悟を決め競技ゴルフに励んだ。

アマチュアの試合に出場し、神奈川アマでは上位に入賞するなど成績を収めていた。そして日本の第一期となるシニア認定プロテストを受験し見事に合格、続けてアメリカのレッスンプロ資格(USGTF)を取得した。

利夫はそれぞれの目標に向けてクラブを振り続け、時に練習中に掴んだ感覚があれば利光を指導する際に応用させた。幼少期の利光に繰り返し取り組ませていた練習の一つ、時計の文字盤に見立てて振り幅を限定して行うドリルも自身の練習から発案した方法だった。伊澤塾のメニューは机上の空論で固められた物ではなく、己の肉体で試行錯誤して生まれていた。

日本プロゴルフ界で塾生が台頭してきた頃、地道にコツコツと積み上げてきた利夫の功績がとある人物から称賛された。秀憲によれば「その言葉をかけられて祖父は嬉しかったと話してました」と言う。

それは利光の結婚式の時だった。

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