誰もが一度は打ったことがある「ピン型」パター。それまであったパターが、ウッドもしくはアイアンの形状を踏襲していたのに対して、まったく異なる形を提案したのがPINGの創業者、カーステン・ソルハイムだった。

画像: 【奇跡のパター”アンサー”ストーリー vol.1】あるときパット下手のエンジニアが閃いた

従来のパターは、ショット用のクラブを改良したものがほとんど。「パット専用のクラブ」として開発された”アンサー”、その後ゴルフ史に名を刻むことになる。

画像: ボールを転がすことに特化したクラブとして、アイアンから派生したパター。19世紀後半のもの www.antiquegolfclub.co.uk

ボールを転がすことに特化したクラブとして、アイアンから派生したパター。19世紀後半のもの

www.antiquegolfclub.co.uk

1958年、当時GE(ゼネラル・エレクトリック)社のエンジニアだったカーステンは、ハンディ5のシングルプレーヤーだった。しかし彼も多くのアマチュアと同じでパットに悩んでいた。ひょっとしたらグリップをしっかり握っていないのでは、と考えて強く握って打ってみたりもした。だが、少しでも打ち損じるとボールはカップを外れてしまう。

次に彼は、ある実験を行った。パターの約3インチ後方をボールペンが引きずるような装置を作り、紙の上でボールを打ってみたのである。スウィートスポットでうまく打てた時はボールペンは真っすぐ線を描く。しかしスポットを外した時はボールペンの線は直線にはならない。20フィートのパットでペンの跡が約1インチほどブレることがわかったのである。

画像: カーステン・ソルハイム

カーステン・ソルハイム

この実験結果からカーステンは「パターヘッドがそんなにブレるなんて信じられなかった」という。次に彼が考えたのが、このブレをいかにして止めるか、だった。カーステンが考えついたのが、重量のほとんどをトウとヒールに配分したパターである。「これで50%以上はブレを防ぐことができる」カーステンは確信した。

これがトウ&ヒールバランスの始まりだった。とはいえ、ことはそれほど単純ではない。彼自身も、これだけのことだったら今まで誰も気付かなかったはずがないと述懐している。カーステンはそこから、ヘッドの慣性能率はシャフトの硬さや重量とも関係があることを突き止める。

こうしてカーステンがカリフォルニア州レッドウッドシティのガレージで作った最初のパターは、「平らな面を持ったホットドッグの中身を取り除いたような」形状をしていた。

画像: カーステンが最初に作ったパター「1-A」

カーステンが最初に作ったパター「1-A」

ボールを打つと”ピーン”という金属音を出す。これがPINGのネーミングの由来となったことはよく知られている。

ノルウェー移民の息子として

カーステン・ソルハイムは、1917年にノルウェー移民の息子として生まれた。エンジニアを目指してワシントン州立大学に入学したが、不況と、そして家業を継ぐために1年でドロップアウト。しかし第2次大戦が始まるとふたたびカリフォルニア州立大学でエンジニアの訓練を受け、1945年には航空エンジニアになっている。

その後どういうわけか、シカゴで調理器具のセールスマンをしたりした後、1953年にニューヨーク州イサカのGE社に入社した。ここでは初め、レーダーやミサイルのエンジニアだったが、後に、GE初のポータブルテレビのデザインを手がけたりしている。

そしてアリゾナ州フェニックスのGEに移ったのが1961年。このときにはすでに1-Aを考案してから3年を経過しており、ゴルフクラブに対する研究熱がますます高まり、会社外の時間はほとんどガレージにこもってパターづくりに没頭していたという。

画像: 砂漠と岩山の地、アリゾナ州フェニックス。カーステンが拠点を置いて以来、PINGの本社はここにある

砂漠と岩山の地、アリゾナ州フェニックス。カーステンが拠点を置いて以来、PINGの本社はここにある

フェニックスに移って5年もすると、パターの注文がくるようになる。そうなると会社とパターづくりの二足のわらじを履いているわけにもいかなくなりGE社を退職、「カーステン・マニュファクチュアリング・コーポレーション」を設立したのが1967年のことだった。

注文がくるようになったとはいえ、カーステンのパターも最初から飛ぶように売れていたわけではなかった。初めは彼自身がパターを持ってゴルフショップに売り歩いたりと、足で稼いでいたようだ。

画像: PINGの本社。開発、設計、アイテムによっては生産や組み立てまでここで行っている

PINGの本社。開発、設計、アイテムによっては生産や組み立てまでここで行っている

10店のうち9店がカーステンのパターを置いてくれたが、半年後に行ってみるとまだ棚の上に売れ残っているような状態だったという。「結局、最初のパターは重量が軽すぎた」ことは分かったが、それを作り直す為に職人に払う金がない。そこで彼は銀行から借金し、機械を買い入れて自分自身で作り直した。

このことは後々、極めて重要な意味を持つ。なぜなら、これを機会に彼はすべてのことを自分で手がけるようになったからだ。カーステンの信念のひとつに「すべてにパーフェクトを心がける」というのがある。以降彼は、細部にわたって自分の手で確かめながら、丹念にクラブを作り上げていくのだ。

いい例がロボットマシンである。それまでのロボットマシンのスウィングが人間のそれとはかけ離れていることに気付いた彼は、数年間をかけrて独自のロボットマシンを開発してしまった。カーステンのそれは、ひとつの回転軸を持ち、肩の回転で機械が遠心力に従ってコックをリリースするという、人間のスウィングをそのままに再現するものだ。

他にも、PINGにあるティアップマシンやクラブ工作に使う機械は、たったひとつを除いてすべてカーステンが作り出したもの。その、たったひとつとは、最初に借金をしてまで買ったミリングマシンなのだ……。

画像: PING本社の入口に展示してあるミリングマシン。PINGの発展に大きく寄与した

PING本社の入口に展示してあるミリングマシン。PINGの発展に大きく寄与した

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