インタビュー中、松山はオリンピックのゴルフ会場問題に関して「(霞ヶ関CCでの開催に関し)メンバーシップのことでいろいろ問題があると思いますし、僕自身はそこはあまり気にしないようにして。ただ日本のジュニア時代や僕が初めて勝ったアジアアマチュアのおかげで今こうやってやっていると思うので、できれば霞でやってほしいという気持ちは人一倍強い」と発言。

2010年のアジアアマに勝ち、2011年度のマスターズの出場権を得た。ここから松山伝説がスタートしたとも言える
松山の名が世界に知れ渡ったのは2011年のマスターズでのこと。日本人最年少の19歳で予選を通過すると、1アンダー27位タイでフィニッシュ。見事ベストアマに輝いたのだが、そのマスターズへの出場権を得たのが、霞ヶ関CCで開催された2010年の「アジアアマ」だった。

アジアアマ優勝の資格で出場した2011年のマスターズでローアマに輝いた
それだけではなく、松山は2009年には同じく霞ヶ関CCで開催された日本ジュニアにも優勝している。これは、前年に惜しくも3位となり「来年、最後の日本ジュニアで優勝したい」と意気込んでの勝利だった。日本ジュニアにアジアアマ。松山の“原点”とも呼べる試合は、ともに霞ヶ関CCで開催されていた。

2008年の日本ジュニアで3位。その悔しさをバネに、翌年見事“リベンジ”に成功した
2020年、順当に行けば日本代表としてプレーすることが期待される松山英樹。彼がプレーするのは「どのコース」になるのだろうか。
オリンピックの会場問題に関しては、週刊ゴルフダイジェスト2017 3/7号に関連記事(『バックアップに横浜CC説も。どうなる五輪会場問題』)が掲載されている。こちらもチェックだ!