PGAツアー「RSMクラシック」を制したのはチャールズ・ハウエル3世。2007年以来、実に11年9カ月ぶりの優勝だったが、それにより7年ぶりに手に入れたものがあるという。ハウエル3世をデビュー当時からよく知る元ゴルフ誌編集長が、その横顔を語る。

“予選通過マシーン”の異名をとるチャールズ・ハウエル3世が、2007年ジェネシスオープン(旧ニッサンオープン)以来、11年9カ月ぶりにRSMクラシックで優勝。初日から首位をキープし、最終日はパトリック・ロジャースに終盤、猛追されてプレーオフにもつれ込んだものの、2ホール目でバーディを奪い、完全優勝。

2018-2019年度のPGAツアー公式試合では今年最後となった今大会を終えて、フェデックスカップ1位で2019年1月から始まるPGAツアーを迎えることとなった。

オクラホマ州立大ゴルフ部出身で、オールアメリカンにも選ばれたジョージア州オーガスタ出身の彼は、オーガスタで小児外科医を務める父に連れられて幼少期からマスターズを毎年観戦。オーガスタナショナルのすぐ隣のオーガスタCCで腕を磨いた。

鳴り物入りでプロ転向した後は、2001年にルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、02年ミケロブ選手権atキングスミルで初優勝。03年にはプレジデンツカップでタイガー・ウッズの希望によりペアを組んで戦った経験も持つなど、2000年代前半は、米国人若手選手の中でも1、2を争うほど将来を嘱望された選手だった。

画像: RSMクラシックで悲願の復活優勝を遂げた(写真はGetty Images)

RSMクラシックで悲願の復活優勝を遂げた(写真はGetty Images)

しかし07年にフィル・ミケルソンとのプレーオフの末、ジェネシスオープンで優勝した後は、毎週のように試合に出続け、予選通過も果たし、安定感抜群であるにも関わらず、どうしても3勝目がやってこない。過去、2位フィニッシュ16回、トップ10入り88回と、優勝のチャンスがないではないが、「勝ち」に恵まれなかったのだ。

今年の1月、ソニーオープンでは、ジェイ・モナハンPGAツアーコミッショナーから予選通過500回記念に対して表彰されたこともあったが、ハウエル自身、「僕のゴルフのいいところは、安定感があるところだと思うが、07年にロサンゼルスで優勝したあと、ちょっとモチベーションが下がった時期があった。そんな時妻のヘザーに言われたんだ。“もしプロゴルファーとして続けたいなら、とにかく試合に出ていきなさいよ”と。それ以来、安定感のあるプレーができていると思うし、また勝ちたいと思うようになった。メジャーでももっといい成績が残したいと思うようにもなったよ。でも実際本当は僕自身、安定した成績が残せる選手だとは思っていなかったけどね」

そんな予選通過マシーンの彼が、予選通過もままならず、上位にもほとんど食い込めていない試合があった。“メジャー”である。

過去の戦歴を見ても、トップ10に入ったのは03年の全米プロのたった1回のみ。今年の全米プロまでで彼が出場した全メジャー45試合のうち、予選落ちはなんと17回もある。安定感のあるプレーぶりからすれば、メジャー通過確率6割というのは本人としても不甲斐ない成績だろう。

2017-2018年シーズンも、彼は28試合に出場し、予選落ちはわずか4回。そのうちの1回は全英オープンでの予選落ちだ。3月のホンダクラシックで予選落ちを喫して以来、13試合連続で予選通過を果たしてきたにも関わらず、である。

「おかしな話だね。僕はリンクスが好きで、プレーするのも大好きなのに、まったく結果に反映されないんだ」

しかもオーガスタ出身で、最も思い入れの強いマスターズには12年以来出場できていない。二人の子供には「お父さん、なぜマスターズでプレーしないの?」と聞かれても、ただ笑うしかなかったハウエル。今回の優勝でようやく、生まれ故郷の憧れの舞台で再びプレーすることができる権利を獲得した。

「(勝って)まずはそのことが頭に浮かんだよ。もちろんマスターズはオーガスタ出身の僕にとっては特に意味のある試合であることは確かだ。でも世界中の誰にとっても特別なものでしょ? 僕だけが特別ということはないけど、やっぱり家のソファに座ってマスターズ観戦するのはキツイね」

来年は久しぶりにマウイ島・カパルアで新年を迎え、チャンピオンのみが出場できる「セントリー・トーナメント・オブ・チャンピオンズ」に出場できることになったハウエル。7年ぶりのマスターズも楽しみだが、やはり予選通過マシーンらしく、予選通過を無事果たして03年全米プロ以来初のトップ10入りを狙ってほしいところである。ずば抜けた安定感を武器に、来年はさらにメジャーで活躍できることを期待したい。

さて、最後に余談。デビュー同時、彼はまだ歯の矯正器具をつけてプレーしており、まるで少年のように無邪気な青年だった。いつも傍には外科医の父が息子のプレーを静かに見守り、“良家のお坊ちゃん”というイメージだった。私がカメラで撮影していると「僕もカメラ、好きなんだよね。同じモデルのカメラ持ってるよ」といいながら、私のカメラで練習中に写真をとって無邪気に遊んでいたこともある。

私はちょうど彼と同時期に米ツアーに本格参戦した丸山茂樹の取材で米ツアーに頻繁に出入りしていたが、時々丸山は彼と練習ラウンドをすることもあり、日本から時々くるおなじみのメディアとして冗談を言い合ったり、からかわれながら取材をしていたこともよくあった。だが、年を重ねるうちにだんだん気難しい一面も垣間見られるようになり、デビュー当時のナイスガイはいったいどこへ……?という雰囲気もあった。だが、今思えば、もしかしたらなかなか優勝できないことに対するフラストレーションが溜まっていた結果、いつしか気難しい神経質な男になっていったのかもしれない。今回の優勝によって、再び笑顔が素敵で気さくな彼に戻ってくれればいいな、と思う。

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