去る9月27日R&Aがプロデュースしたセントアンドリュースのピクチャーハウスシネマ(映画館)でセベ・バレステロスのドキュメンタリーフィルム「セベ」が上映された。世界中に旋風を巻き起こし、2011年脳腫瘍により54歳で他界したスペインの英雄の光と影とは。

1976年、ロイヤルバークデールで行われた全英オープンでジョニー・ミラーに次ぐ2位に入ったときセベは19歳だった。その瞬間世界の扉を開いた彼は5つのメジャーを制覇しライダーカップでヨーロッパチームを牽引。数々の栄光をゴルフ史に刻んできた。

画像: スペイン出身の名手、セベ・バレステロス。そんなセベのドキュメンタリーフィルム『セベ』がR&Aプロデュースのもと制作・公開された(写真は1979年の全英オープン)

スペイン出身の名手、セベ・バレステロス。そんなセベのドキュメンタリーフィルム『セベ』がR&Aプロデュースのもと制作・公開された(写真は1979年の全英オープン)

ドキュメンタリーでは人々を熱狂させたドラマチックなコースでの“セベ劇場”の数々が綴られているが、一方で私生活での家族との確執についての証言も取り上げられている。

セベが生まれたのは北スペインの小さな村ペドレナ。実家は農家で2階建の生家の1階は牛舎だった。牛たちが放出する熱が暖房代わり。4人兄弟の末っ子(セベ)は幼い頃から家計を助け、こづかいを稼ぐため近くのコースでキャディのアルバイトに精を出した。1日働いた後に飲むジュース。それが何よりのご褒美だった。

手作りのクラブを手に砂浜でゴルフを覚えた少年はやがてヨーロッパ史上最高のチャンピオンとなり名家の子女に恋をする。身分違いの結婚は周囲から冷ややかに受け止められながら3人の子供に恵まれた。しかし決別(離婚)のときが来る。

3人の兄は有名になった弟を手放そうとはしなかった。何とか自分たちの手でコントロールしようと画策。かつてマネジメントを担当していたエド・バーナー氏は「セベはほとんどの人のことを信用しなかった」と語り、鬱症状に苦しんでいたことも明かされた。

ドキュメンタリーでは同世代を生きたライバルたちの証言が続く。91年のライダーカップでセベ&オラサバルのスペインペアに惜敗を喫したポール・エージンがーは「7つバーディを奪ったのに勝てなかった。セベは我々の心をズタズタにした。彼は相手を打ちのめすのが好きだった」と証言。

欧州チームで苦楽をともにしたニック・ファルドはセベを「ユニークなアニマル」と呼ぶ。「彼はゲーム、情熱、技術、万能性、特効薬をすべて持っていた」。87年と95年のライダーカップでの熱い抱擁はファルドにとって忘れられない宝物。「彼は僕を偉大なチャンピオンと呼んでくれた。それがどれほど大きな意味を持つか」。メジャー6勝の男は感慨深げに語る。

マスターズ2勝のベルンハルト・ランガーはセベの復活を信じ続けたひとり。「現役を終えたらもっと親しくなんでも話せる仲になれたと思う。でももうそれができない」と早すぎる友の死を悼んだ。

ゲーリー・プレーヤーは78年のマスターズで優勝したとき若かりしセベと最終組で回った思い出を語る。ウィニングパットを沈めた瞬間セベが駆け寄りハグ。「スポーツマンシップの表れだと思ったがそれだけじゃなかった。彼はこう言ったんだ。ゲーリー、ゲーリー、あなたは僕にマスターズの勝ち方を教えてくれた、とね。セベは未来を見ていた」。2年後(80年)セベはグリーンジャケットに袖を通した。

ドキュメンタリー「セベ」はヨーロッパの楽天TVで視聴可能。その他の国の放映は未定だ。

人々の記憶に強烈な印象を刻みあまりにも早く天国に旅立ったセベ。改めてご冥福をお祈りしたい。あなたは偉大でした。

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