1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材し、現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員として活動する吉川丈雄がラウンド中に話題になる「ゴルフの知識」を綴るコラム。第11回目は、日本のゴルフコース設計の礎となった人達について。

日本にコース設計を伝えた“アリソン”という人物

黎明期における日本のゴルフコース設計は、そのほとんどが海外でゴルフを嗜んだエリートとされる人たちによって造られた。当然だがゴルフ場建設に関する土木知識はなく、ティーイングエリア、フェアウェイ、そしてグリーンを距離を変えて配置した簡素なものだった。

画像: 在りし日の東京GC15番グリーン

在りし日の東京GC15番グリーン

それでもゴルフプレーを楽しむことができ、ゴルファーは僅かながら増えていった。そんな時代、東京の駒澤に生まれた東京GCは、借地権を所有する農民らによる借地料の値上げに悩み、新天地を探して移転することになった。

会員の大谷光明は「どうせ造るのなら本格的なゴルフコースにしないか」と提案。会員の賛同を得てゴルフの本場、英国から設計者を招聘することになった。

当時、多くのゴルフ場を手掛けていた英国人のハリー・コルトに依頼することになり、ロンドンに出張する予定があった会員の岩永祐吉に交渉を依頼。岩永は、1902年首相を務めたアーサー・バルフォア卿に相談すると、コルトを紹介してくれることになった。

ハリー・コルトは、コース設計することに関しては快諾したが、当時英国から日本までは40日以上という船旅になり、68歳と高齢だったことから負担が多く、その代わりにアメリカのデトロイトに設計事務所を開設していたコルトの弟子、チャールズ・ヒュー・アリソンを紹介してくれた。

その知らせを聞いた大谷光明らは、大御所のハリー・コルトではなく、知名度のないアリソンの名前を聞いて「果たしてどのようなコースを設計するのだろうか」と困惑をした。その理由は埼玉県の膝折村の建設候補地はほぼ平坦な雑木林だったからだ。

多くの資料にアリソンの来日は『12月上旬、滞在は2カ月、2カ月半、3カ月』とされていた。

画像: 東京GC会員の大谷光明

東京GC会員の大谷光明

だが「2カ月ではあまりにも短期間ではないか、実際にはもっと滞在していたのではないか」とコース設計家の嶋村唯史さんはその理由を「東京GC朝霞、関西に赴き廣野GCを設計し、その間川奈に立ち寄り富士コースの検分をし、藤澤GC、茨木CC、鳴尾GCの検分と改修の提案、さらに霞ヶ関CCコースの改造提案」をしているからだ。「短期間では到底できない。設計者は必ず現場に立ち会いたくなるものだからだ」と語っていた。

そもそも12月上旬に来日し、いつ離日したのかはっきりと明記されている文献が見当たらない。実際には多くの人々と出会っているのにだ。

画像: コース設計者のアリソン

コース設計者のアリソン

アリソンが事務所を構えていたのはアメリカのデトロイト。デトロイトから日本に来る方法を探ってみた。当時、まだ大陸横断鉄道はなかった。正確に言えば、大陸横断鉄道と謳っていても、単独で大西洋側から太平洋側まで走る鉄道路線はなかった。東部や中西部から太平洋側に出るには乗り換えが必要で数日を要した。調べるにつれカナダのパシフィックカナディアン鉄道がカナダのオンタリオからニューヨークを経由してアメリカ国内を走り、デトロイト、シカゴ、そして再びカナダ領内に入るとバンクーバーまで走っていることが判明した。

太平洋を渡る航路を調べてみた。東洋に来るにはサンフランシスコ、もしくはロサンゼルスからになるが、バンクーバーから鉄道と同じカナディアンパシフィック社が東洋航路を運航していた。

次に調べたのは横浜港に到着する船だった。子供の頃、横浜港に来航する船名が新聞の片隅に掲載されていることを思いだしたからだ。横浜中央図書館に行き、1930年末の新聞を閲覧した。

1930年(昭和5年)11月26日の都新聞(後の東京新聞)と朝日新聞横浜地方版に「25日夕方、カナダパシフィックのエンプレス号でチャールズ・アリソンとジョージ・ペングレースが横浜に到着」とあった。

アリソンの来日は12月上旬ではなくなんと11月25日だった。しかも、シェーパーのジョージ・ペングレースも同行していた。これは大発見だった。

では、帰国したのはいつだったのか。霞ヶ関CCの会報誌フェアウェイに「4月6日、アリソンの壮行会が行われた」という記事を嶋村唯史(コース設計家)さんが発見した。その記事によると離日は1931年4月9日で神戸からだった。

つまりアリソンは1930年11月25日から31年4月9日までの4カ月以上に渡る長期滞在だった。

文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中

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