良きライバルとして競い合った3巨頭

左から:J・H・テイラー/J・ブレード/ハリー・バードン
1860年第1回全英オープンがスコットランドのプレストウィックGCで行われた。その時代は、トム・モーリス・シニア、ジュニアの親子とウィリー・パークが優勝を独占する“モーリス&パーク時代”だった。その後、ハロルド・H・ヒルトンなどのアマチュアが活躍した“アマチュアの黄金時代”が続いた。
そしてプロゴルファーが勝利を独占する時代に突入することになった。
最初に名を挙げたのはジョン・H・テイラーで、1894年サンドウィッチ(ロイヤルセントジョージズGC)で行われた第34回大会で初優勝を果たした。テイラーの飛距離はそれほどではなかったが、正確無比といえるもので、なかでも5番アイアンを手にした場合、機械的ともいえるボールコントロールを誇っていた。翌年セントアンドリュースでの大会でも正確なショットを繰り出し連覇、イギリスを代表する選手として名声を手に入れた。
1896年、3連覇を狙うテイラーの前に立ちはだかったのは、当時全くの無名だったハリー・バードンだった。その年の舞台はミュアフィールドだった。72ホールを終了してテイラーとバードンは同スコア。勝負の行方は36ホールのプレーオフにゆだねられた。
沈着冷静なバードンは、標準よりも短いシャフトながら、ドライバーの飛距離は驚異的だった。バックスウィングからトップ、そしてダウンからフォローまでゆったりとした大きなスウィングだった。しかも、当時はフラットなスウィングが全盛だったが、バードンはアップライトなスウィングで飛距離と共に正確なショットを繰り出し、加えてパットも調子よくテイラーを突き離して全英オープンに初勝利した。
そのバードンを全英オープンで破ったのがジェームス・ブレイドで、1901年ミュアフィールドで開かれた第41回大会だった。ブレイドは、1897年大会でアマチュアのハロルド・H・ヒルトンに敗れて2位になり注目を浴びていた選手でもあった。ブレイドのスウィングは決して優美とは言えず、どちらかといえば荒々しいパワーヒッターだった。それだけにドライバーの飛距離は当時では随一といっても過言ではなかった。それにアプローチの名手としても知られていたが、パッティングが唯一の弱点だとされていた。だが、全英オープンに勝利したことでかなりの自信を付けた。
この3人はいずれも個性的でファンを魅了し続けた。正確無比なショットを打つテイラー、ゆったりとしたスウィングで驚くほどの飛距離を打ち放すバードン、パワフルなスウィンで当代一の飛ばし屋だったブレイド。
体形も三人三様で、テイラーは身長172センチ、体重73キロ、バードンは175センチ、67キロ、ブレイドは186センチ、80キロだった。
この3人は、タフなリンクスに対して闘志満々という姿勢で立ち向かい、よきライバルとして競い合い、その雄姿に多くのファンは酔いしれ熱狂し、賞賛の拍手を惜しみなく送った。
全英オープンのタイトルを、テイラーとブレイドはそれぞれ5回、バードンは6回獲得し1894~1914年の21年間に3人だけで16勝もし、まさに“ビッグスリー”の時代であった。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中