第一回全英オープンは1860年に開催された

写真はプレストウィックGC
世界で最も古いトーナメントといえば全英オープンだ。世界4大競技でもあり、イギリス人は「この試合こそオープン中のオープン」だと思っている。だから単にThe Open(ジ・オープン)と呼んで、歴史と伝統に対する誇りはどこまでも高いものがある。
第1回全英オープンは1860年10月17日の午後、スコットランドのプレストウィックGCで行われた。その頃の日本は江戸時代の末期で、井伊直弼が桜田門外で水戸藩の浪士に襲われる事件が起きた年である。
プレストウィック駅近くにあるパブ、レッドライオン・インに集まると競技について話し合い、参加選手トム・モーリス、ウィリー・パーク、アンドリュー・ストラス、ボブ・アンドリュー、ダニエル・ブラウン、チャールス・ハンター、アレックス・スミス、ウィリアム・スチールの8人は歩いてプレストウィックGCに向かった。ちなみに、パブとコースはプレストウィック駅を挟んだ位置にあり、歩いても数分の距離だ。またレッドライオン・インは現在も営業していて、地元だけではなくプレストウィックGCに来るゴルファーが記念と観光に訪れる人気スポットだ。

プレストウィックGC4番ホール
コースに着いた8人のプロはメダルプレー(ストロークプレー)で競技を開始。プレストウィックGCは12ホールのコースだったことから3回ラウンドをすることになった。
名誉ある第1回大会の勝者はウィリー・パークで、スコアは174。1860~70年の間、勝者にはベルトが贈られ、賞金は第5回大会から出るようになりその金額は6ポンドと僅かだった。現在のトロフィーはクラレットジャグと呼ばれるものだ。
第1回大会の参加者は8人だったが、2回目は12人と少なく、1899年の第39回大会でも98人だった。参加選手が100人を超えたのは1901年の第41回大会ミュアフィールドで勝者は巨漢で飛ばし屋のジェームス・ブレイドだった。
話を大会初期の時代に戻そう。
名誉ある第1回大会はウィリー・パークが174で優勝、2位はトム・モーリス・シニアだった。シニアは翌61年大会を制すると62、64、67と4回制覇する強さを見せ、息子のジュニアは68、69、70年と3連覇した後72年にも勝っている。親子で8回も全英オープンを制したことになる。67年シニアが優勝した時は46歳、68年初優勝したジュニアはまだ17歳という若さだった。
プレストウィックGCで行われた全英オープンは1860~72年(71年は開催されなかった)、75、78、81、84、87、90、93、98、1903、14、25年と実に23回にも及んでいる。72~91年の間はプレストウィックGC、セントアンドリュース、マツセルバラの3コースで行われ、92年ミュアフィールド、94年に初めて舞台にイングランドのリンクスが加わりサンドウィッチで開催され、以降スコットランドとイングランドで交互に開催されるようになった。
今日の開催コースはセントアンドリュース、カーヌスティGL、ロイヤル・リザム&セントアンズGC、ロイヤル・バークデールGC、ロイヤル・リバプールGC、ロイヤル・トルーンGC、ロイヤル・セントジョージスGC、ロイヤル・ポートラッシュGC、ミュアフィールドとなっている。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中