
岡田絃希-Genki Okada。1997年の千葉県出身。6歳からゴルフを始める。ビクトリア大学卒業。日本植生所属
GD: 今は岡山在住ですが元々は千葉県出身ですよね?
岡田: はい。中学1年までは千葉でした。
GD: ゴルフを始めたきっかけは?
岡田: 父親がシングルハンディでゴルフが大好きだったんですけど、姉と弟と一緒に練習場に行ったのが最初だったと思います。
GD: 高校は岡山の作陽高校ですが、岡山に行ったのはゴルフのためですか?
岡田: そうなんですが、それも父親の考えなんです。父親は子どもをプロゴルファーにしたくて「ゴルフを上手くなるにはゴルフ場と家をどれだけ近づけるか」という持論があったんです。姉もゴルフをやっていたんですが「作陽がいい」という情報を調べてきて、それで家族ごと千葉から岡山へ移住しました。千葉の時は茨城に行ったりもしていたので練習にしてもコースにしても家から1時間〜2時間ほどかかっていたのが、30分〜40分くらいに短縮されたわけです。
GD: じゃあ子どもにゴルフをさせるために移住したわけですね?
岡田: そうなんです。姉が高1で、姉だけという選択肢もあったんですが、単にゴルフのためだけの転校だと、すぐに試合に出られなかったんです。1年は出られないという決まりがあったんですが、親の仕事の関連した転校だとすぐに出られるとのことで、それで父親は仕事を辞めて岡山で転職することに決めたらしいです。頭おかしいでしょ(笑)。その会社が僕の今の所属先になっていただいている日本植生なんです。
さらに岡山からマレーシアへ移住
GD: ツアープレーヤー転向は2016年で、日本の試合に出始めたのは2021年頃でしたが、そのときはマレーシアに住んでいた記憶が?
岡田: マレーシアに住んでいたというか、高校2年の夏にマレーシアに移住したんです。
GD: 岡山からマレーシアへ? これもゴルフのためですか?
岡田: ここでも父親の持論が発揮されたわけです。岡山ではコースまで30分ほどだったのが、いよいよマレーシアではゴルフ場の横に住み始めたんです。マレーシアならゴルフの環境も良くて英語もできるようになる。それで会社に異動願いを出したそうです。
GD: 当時は英語は?
岡田: 全くできませんでした。父親とマレーシアに一緒に下見にも行ったんですけど、正直嫌だなと思っていましたね。
GD: じゃあ高校に入ってから英語は習得したわけですね。高校を卒業してすぐにプロ転向したんですね?
岡田: はい。日本のQTも受けましたし、アジアの下部ツアーやチャイナツアーにも行きました。でも、そのときに今のままだと通用しないなと感じて、それでマレーシアの大学に入り直したんです。ちょうど2年が経った頃にビザの関係で帰国したんですが、コロナウィルスの影響で、日本にいる間にマレーシアがロックダウンになって、戻れなくなってしまって。それでその流れのまま日本でのプロゴルファーとしての生活が始まったんです。

熱心な父親だったけれど、結局プロゴルファーになったのは兄弟の中でも僕だけ(笑)
GD: でもマレーシアの大学は卒業していますよね?
岡田: 残り2年はリモートで、プロとして試合に出ながら授業を受けて卒業しました。
GD: 結果的に父親の思惑通り(?)にプロゴルファーになれてお父さんも喜んでいるのでは?
岡田: そうですね(笑)。でも父親のそういうバックアップがあったからやってこられたというのはあると思います。ただ、姉も弟も父親の言うことが聞かなかったので、ゴルフの道を選んだのは僕だけなんですけどね(笑)
GD: 2024年は米国のPGAツアーの3部ツアーやカナダツアーにも参戦していましたが、試合があればどこにでもいくそんな精神は父親の教育スタンスから養われたものですか?
岡田: そうですね。それはあると思います。チャイナツアーに行った時も、何もわからずとりあえず行ってみてという感覚でしたし、カナダツアーは人から教えられた情報でしたが、とりあえず行ってみようという感じでした。なんとかなるかなって。でも、やっぱり「プロなら試合に出なければ」という気持ちはありますし、試合でしかわからないことってあるんです。だから試合があればどこへでもいく気持ちは持っています。
GD: まだまだ今年も試合が続きますが改めて目標を聞かせてください。
岡田: 今は目の前のことに向かうことで精一杯ですけど、その中でもやっぱり優勝したいですね。レギュラーツアーでの優勝はもちろんですが、ACNツアーでも優勝を狙いたいと思います。
プライベートでは結婚もして岡山で新しい生活をスタートさせている岡田選手。マレーシアのロックダウンの際は日本での拠点もなく、ゴルフ場に住み込みながらプロ生活を始めたことは遠い昔のようだが、今は勝つための準備が整っている。父親がゴルフが上手くなるためにと固め続けてくれた土台に花が咲くのももう間も無くだ。
文/出島正登
写真/有原裕晶