連載6回目にピックアップするのは野澤竜次選手です。今シーズンはレギュラーツアーとACNツアーの両方に参戦中。京都府出身の26歳で東北福祉大を経てツアープロに転向。未だ優勝はありませんが、時折見せる爆発力には可能性を大いに感じます。運動神経が良くてめちゃくちゃ器用。ちょっとしたモノマネ上手な一面もあり、何かを真似たり、吸収したりする力の長けている野澤選手を深堀します。
画像: 野澤竜次-Ryuji NOZAWA。1999年の京都府出身。東北福祉大学出身

野澤竜次-Ryuji NOZAWA。1999年の京都府出身。東北福祉大学出身

GD ゴルフを始めたのはいつ頃?

野澤 10歳のときです。もともと野球をやっていたんですけど、指導方針に関してちょっとした揉め事があって、それで父親が「野球辞めてお前はゴルフをやれ」って突然言われたのがきっかけと言えばきっかけですね。半分ノリみたいな感じですよね。

GD お父さんはゴルフをやっていたんですか?

野澤 少しはやっていたんですけどそんな上手いわけではなかったと思います。だから、なんでゴルフだったのかは今もわからないんです(笑)

GD 京都はどのあたりの出身ですか?

野澤 山科のほうです。当時は父親と宇治カントリークラブでよくプレーしていた記憶がありますが、小学校の頃から試合には出ていました。

GD 小学校、中学校といわゆるジュニアゴルファーとして試合に出ていたわけですね。高校はそのまま京都?

野澤 いや、東大阪にある大商大高校に行きました。

GD 通い?

野澤 いえ、監督が用意してくれた下宿先というかアパートに住んでいました。一人暮らしをしたかったので「一人で住める場所が無いと行かないです」って言ったら用意してくれて、そこで3年間過ごしました。

GD 中学卒業して一人暮らしってなかなかですね。

野澤 もう家出たかったですね。もっと伸び伸びやりたかったんで。実家がしんどかったんですよね。

GD それはやっばり父親の教育方針が厳しかった?

野澤 そうですね。勉強をしろとかはあまり言われたことはなかったんですが、親の威厳みたいなのはありましたね。人としての言葉使いとか、礼儀とかはめちゃくちゃ言われましたね。父親もかなり年配だというのもあるんですが、ちょうど80歳ですね。

GD かなり遅くに生まれた子どもだと厳しくというか、逆に溺愛しそうなイメージもありますが?

野澤 厳しいが勝っていましたね。

GD そんなお父さんきっかけで始めたゴルフにどんどんのめり込んだ感じですか?

野澤 やっぱり高校で初めてゴルフ部というものに入って、それで上手い人たちが目の前にいる環境の中で切磋琢磨して、そのあたりからのめり込んだというか成績は伸びた感じはありますね。

GD ゴルフの師匠的な存在で言うとやはりお父さんになるんですか?

野澤 そうですね。でもメンタルに関しては高校の監督ですね。熱血監督で、トレーニングは野球部やサッカー部よりもハードでした。メニューがエグいんですよ。シャトルランなんか学年で1位でしたから、めちゃくちゃ走りました。校庭でタイヤ引っ張ってましたから。漫画ですよね(笑)。

GD 高校の部活がそれだけ厳しいというのはあったかもしれませんが、お父さんは親元から離れるのをすんなり認めたんですか?

野澤 そうですね。僕が出たそうにしていたのも知っていたみたいで、少しは自立したほうがと言うのもあったのかもしれません。でも、毎日お父さんは学校まで来てましたけどね。(笑)

GD え!? 毎日学校まで?

野澤 学校の部活が19時頃終わるんですけど、ヘトヘトの状態で「はい、練習場。よし行くぞ」みたいな感じで。そこから2時間打っていました。全く盛らずにほぼ毎日です。休んだ記憶があまり無いです。

画像: 毎日お父さんが学校まで迎えに来て、練習に連れていかれていた

毎日お父さんが学校まで迎えに来て、練習に連れていかれていた

星野英正先輩との出会いで人生が変わった

GD 大学は東北福祉ですが、どうやって決めたんですか?

野澤 そもそも行きたかったんです。大学生とのフレンドリーマッチがあって……。当時、比嘉一貴さんとかがいて、格好いいなと思ったのと、ゴルフをするんだったら一番強いところと言うシンプルな考えからです。

GD 当時からプロになることは決めていたんですか?

野澤 大学の1年の時に予選を通って日本オープンに出たんです。当時は合宿で85を打って、学生の試合に1試合も出てない状況だったのに、唯一日本オープンにだけ出られたんです。しかも予選も通ったんですよ。その時に「俺大学辞めよ」って思って、「プロ転向します」ってコーチに言ったんですけど「お前、もうちょっと考えろ」って言われて。そこからなんかコーチと気まずくなっちゃって。そこから鳴かず飛ばずで、大学の4年のはじめには92とか打ってたんです。ほんとゴルフ辞めようかなって。それで3カ月くらい休部したんですけど、そのときにたまたまYouTubeの撮影をしにきたのが星野英正先輩なんです。

GD そこで出会うわけですね?

野澤 そのときにご飯をご一緒させてもらって「何かあったら連絡して」って言ってもらって。当時はもうゴルフがどうしようもなくなっていたのと、自分自身もコーチのあても全くなかったのもありますが、92を打った次の日にDMを送ったんです。「ボロボロ過ぎて教えて欲しいです」って。そうしたら「明日来れるか」って返信が来てすぐに行きました。

GD もちろん大学の大先輩ですが星野選手のイメージは?

野澤 接点なんかもちろん無かったですし、レジェンドですし、やっぱり怖かったですね。でも、死に物狂いというか、今すぐにどうにかしたいという思いだったので。それで見てもらったら「全然ダメ!!!」って言われて。「時間かかるよ」って言われました。

GD 結局、4年生のときに見てもらって、その年にQTを受けていますよね?

野澤 そうなんです。サードまで行ってそのときにプロ転向しました。

GD 春に92を打っていたのにサードまで行けるって、星野プロにかなり感謝ですよね。

野澤 92のときは、いろんな要因はあったんですけど、イップスみたいな感じになってしまって、OB無しの92だったんです。初めて泣きました。それでこれはヤバイと思って、星野さんの言うことをずっとやってたら、1カ月後に敗者復活でしたが日本アマに出場できたんです。

GD やり方がわかれば卒なくできちゃうタイプっぽいですね。改めて今シーズンの目標を聞かせてください。

野澤 やっぱりとにかくレギュラーツアーを定着させたいですね。先々の大きな目標ってあまり考えていないんですけど、やっぱり勝ちたいのはあります。残り試合も死に物狂いでがんばります。

現在はスウィングに関するコーチは奥村竜也氏に委ねているが、星野選手との関係も変わらず続いているそう。以前、野澤選手本人には全く悪気は無かったが、星野選手の真似をしていたことが星野選手の耳に入り、めちゃくちゃ怒られたそうです。噂になるほど似ていたと言うことなのでしょう。それに真似ることが上手い人はゴルフも上手いと言われています。現に星野選手も、以前とあるスピーチで「野澤はツアーに出ます」と断言していたほど、一目置く存在だったようです。

教えられたことをスポンジのようにどんどん吸収する野澤選手の今後の戦いぶりに注目してみてください。

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