「ゴルフの父」とトム・モーリス・シニアの出会い

モリス親子、長いひげを生やしているほうがトム・モーリス・シニア
アメリカの「ゴルフの父」と称されるのはチャールズ・ブレア・マクドナルドだ。マクドナルドは裕福な家庭に生まれ、16歳でスコットランドのセントアンドリュース大に留学している。
当時、セントアンドリュースのコースにはトム・モーリス・シニアが健在で、マクドナルドは直接ゴルフの指導を受けたちまち上達していった。トム・モーリス・シニアはプロゴルファーだけではなく、優れたコース管理者であり、世界最初の本格的なコース設計家でもあった。
留学を終えアメリカに戻ると友人が所有していたレイクフォレストにある土地の、湖畔に接した眺めの良い場所に簡素ながら7ホールのゴルフ場を造り上げた。ゴルフのゲームに夢中になるにつれて本格的なゴルフ場が欲しくなり、1892年友人、知人らに呼び掛けて出資を募り、シカゴ郊外のベルモントにあった牧場に9ホールを建設。このゴルフ場がアレゲーニー山脈西側で最初のゴルフ場になり、1891年に開場していたシネコックヒルズGCに続いて、アメリカ2番目のゴルフ場でもあった。

シネコックヒルズGC
1893年に18ホール規模に拡大されたが、アメリカ最初の18ホールのゴルフ場でもあり、イリノイ州から正式にシカゴGCとして認められた。
翌年の94年には新規で18ホールのゴルフ場建設を考えるようになり、農場から200エーカー(24万坪)の土地を購入。その土地はなだらかな丘陵地でスコットランドを彷彿させるに十分な景観を持っていた。
新コースの設計はマクドナルド自身が行った。彼は上級者であったが球筋は病的ともいえるスライサーだった。そのためマクドナルドが設計したコースはアウト、インとも時計回りにされ、極力トラブルショットにならないように造られていた。
後日、コースに接した私有地が宅地化したためボールが飛びこんだ時、救済ができるようにルールを制定する必要性が生じ、“OUT of BOUNDS”を設置。この制定がアメリカ最初のOBとなった。アメリカ最初のOB設定は、アメリカゴルフの父、チャールズ・ブレアー・マクドナルドがスライサーだったから生まれたことになる。ちなみにシカゴGCは世界的に見て最も排他的なコースとされ、会員数は120名以内と厳しく決められている。
マクドナルドが造ったベルモントのゴルフ場は1899年ハーバート・J・ツイーディーにより9ホール規模でベルモントGC(9H/3280Y/Par36)となり現在はダウナーズグローブ市の公営ゴルフ場として運営されている。9ホールだが、18ホールとしてプレーした場合のコースレートは72.4、スロープは133で難しいコースといえる。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中



