
19年ブリヂストンオープンに出場した尾崎将司(撮影/岡沢裕行)
「本人の強い意志」で自宅療養。最後まで貫いた美学
リリースによれば、約1年前にステージ4の診断を受けていたという。しかし、そこからの選択がいかにもジャンボらしかった。「本人の強い意志」により、入院ではなく自宅療養を選択。最後まで住み慣れた場所で、自身の流儀を貫き通した最期だったようだ。
葬儀は故人の遺志により近親者のみの家族葬で執り行われ、香典や供花なども固く辞退しているとのこと。後日、ファンや関係者のために「お別れの会」が開かれる予定だ。
蒔いた種は、世界で花開いている
通算113勝、賞金王12回。 その偉大な記録は色褪せることはないが、晩年の尾崎が情熱を注いだのは、自身のプレー以上に「後進の育成」だった。

教え子の原英莉花と一緒に19年ジュニアレッスン会にて(撮影/大澤進二)
千葉県の通称“ジャンボ邸”には、強さを求める若者たちが集い、尾崎はその背中と言葉で彼らを導いた。
その成果は、あまりにも鮮烈だ。 メジャー2勝を挙げ、世界のトップ選手へと成長した笹生優花。今年、悲願の米女子ツアー(LPGA)昇格を決めた原英莉花。そして、2025年シーズンの国内女子ツアーで年間女王に輝いた佐久間朱莉。
「ジャンボ尾崎ゴルフアカデミー」から巣立った教え子たちが、今まさに国内外のツアーを席巻している。
昭和、平成、令和と駆け抜け、自らの手で最強のゴルファーたちを育て上げたレジェンド。 肉体は滅びても、その「ジャンボイズム」は、愛弟子たちのスイングと闘争心の中に、確かに生き続けている。
【尾崎将司 プロフィール】1947年徳島県生まれ。プロ野球・西鉄ライオンズ(現西武)を経て、1970年にプロゴルファーへ転向。豪快なドライバーショットを武器に「AON時代」を築き、日本ゴルフツアー通算94勝、国内通算113勝は歴代1位。世界ランキング最高位は5位。2010年世界ゴルフ殿堂入り。
