数学教師からプロへ。マーシュ、ジャンボに並ぶ「3週連続優勝」の系譜

左から:謝敏男/グラハム・マーシュ/尾崎将司
ゴルフの試合は通常、最初の2日間は予選、その後の2日間は決勝。つまり予選落ちしない限り4日間戦うことになる。シーズン中は毎週のように試合が行われ、出場資格を有する選手は体力と強靭なメンタルが求められる。
好調に思えてもスコアが伸び悩み、予選は通過したが上位には入れなかった。またその逆に、あまり調子は良くなかったが、試合が始まるとショットが安定して上位で予選を通過し優勝を狙える位置にいる、ということもあり得る。ゴルフはメンタルのスポーツと言われ、選手の心模様ひとつで成績が大きく左右されることもある。
そのためいくら好調を持続させても連続優勝はかなり難しいとされるが、過去のデータを見ると男女ツアーとも2週連続優勝はそれなりにある。

グラハム・マーシュ
では3週連続優勝となるとどうだろうか。日本の男子ツアーを調べると1974年にオーストラリアのプロ、グラハム・マーシュがフジサンケイ、ダンロップ、ペプシと3週連続優勝をしているが、この記録は日本のツアー初めての快挙だった。
ちなみにマーシュは、数学の教師からプロに転向した変わり種で、日本ツアー20勝、世界で60勝以上という成績を残している。マーシュ以外ではジャンボ尾崎が88、94年と2回も3週連続優勝を達成している。
1982年10月、名古屋の三好CCで行われた東海クラシックの初日、台湾出身で日本に暮らしツアーに参戦していた謝敏男はコースレコードの「64」をマークして首位、2位の島田幸作とは2打差だった。2日目「71」、3日目「72」、最終日に2、3番をバーディとして4日間首位を守り完全優勝を果たした。
謝敏男は62年の世界アマで来日し、川奈でプレーをしている。64年のローマ大会では優勝し、65年にプロ転向した実力者だった。プロになってからの初来日は67年。68年には早くも関東オープンを制している。72年にはオーストラリアで行われたワールドカップでは同じ台湾の呂良煥(りょ・りょうかん)と組み個人、団体優勝をしている。
東海クラシックでの好調は新しいボールを使ったことだった。時代は糸巻きボールからより飛距離の出るツーピースボールに移行するときだった。従来のボールよりも飛距離の出るツーピースボールは魅力的だったが、新開発の製品ということもありそれなりの欠点もあった。スピンが掛かりにくかったのだ。
そのため、ピンに絡むように打ったはずが思いのほかスピンが掛からず計算以上に転がってしまった、という意見が多くの選手から伝えられた。そのため大きな飛距離は魅力的に思えたが、試合で使うのをためらう選手は多くいた。飛距離が伸びるのはアマチュアゴルファーにとっては朗報になるが、プロ達にはそうでもなかったのだ。少なくとも初期のツーピースボールの評価はあまりよくなかった。
40歳を超えていた謝敏男にとって大きな飛距離は魅力的だった。それは年々飛距離が落ちていることを実感していたからで、最盛期より20ヤードも飛ばなくなっていたからだ。毎週戦うツアープロにとって20ヤードはかなり大きな負荷になる。新しいツーピースボールを使うことで飛距離の問題は解決でき「ゴルフが楽になった」と語るほど謝敏男は恩恵を受けることになった。
完全優勝の後の舞台は静岡県の東名CCで行われるゴルフダイジェストトーナメントだ。謝敏男の家はコースの近くにあり家からコースまで通うことができた。初日「64」、2日目も首位を守り通算10アンダー、3日目「65」の好スコアで17アンダーまで伸ばすが最終日には息切れしてしまったがそれでも2位に1打差をつけて優勝することができ2週連続の完全優勝だった。
次の舞台は千葉の袖ケ浦CCでのブリヂストン。この試合でも連日首位を守ったものの、最終日に新井規矩雄とのプレーオフとなったが優勝を果たした。
3週連続、12日間首位での完全優勝という快挙は世界記録だった。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中





