どん底から這い上がった「19年」の軌跡とスポンサーへの恩返し
プロの世界の第一線で戦う選手たちの中で、彼ほど泥臭い道のりを歩んできた選手は珍しい。
14歳でゴルフを始め、名門・東北福祉大に進学するも、層の厚い部内でレギュラーを掴めたのはわずか1度だけだった。卒業後は栃木県のゴルフ場で研修生となり、その後は地元・福島県のゴルフショップで働きながら練習を重ね、2006年にようやくプロテストに合格した。
レギュラーツアーへ出場できない日々が続くも、39歳で念願の賞金シードを初獲得。しかし、それもわずか1年で喪失するなど、決して順風満帆とは言えないキャリアだった。それでも諦めずにクラブを振り続け、2021年には現在多くのプロをサポートする食品スーパー「ロピア」の契約選手第一号となった。かつて同社の高木前社長が自らキャディを務めてくれたこともある縁の深いスポンサーへの感謝とプライドも、彼の背中を力強く押している。その「19年と237日」の重みが、今の内藤のプレーには宿っている。
無欲の境地を支えるパッティング精度と「21ホール連続ノーボギー」
大舞台の重圧、ましてや「自身初の最終日最終組」というプレッシャーの中で、なぜ彼は歴史的なスコアを叩き出せているのか。その答えは、データが示す圧倒的な「パッティング精度」と鉄壁の安定感にある。
3日間の通算データにおいて、内藤の通算平均パット数は「1.5500」で出場選手中堂々のトップ(1位)を記録(※第3ラウンド単体でも1.7500)。初日から続くグリーン上での神がかり的な冴えが、彼のスコアメイクを強力に支えている。

オデッセイの「TRTL Square 2 Square」のゼロトルクモデルが内藤の好調を支える
さらに第3ラウンドでは5バーディ・ノーボギーの「67」をマーク。前日第2ラウンドの15番ホールでボギーを叩いて以降、なんと「21ホール連続ノーボギー」を継続中だ。この「67」により、自身初となる「7ラウンド連続60台」のツアー自己新記録まで打ち立ててみせた。
ラウンド後の会見で、内藤はこう振り返った。
「朝イチで7、8メートルのいいパットが入ってくれた。2番も難しい下りのスライスが入ったし、今日も今までと比べたら十分すぎるぐらい入っていたんで良かったです」
そして、54ホールの大会最少ストローク記録更新について問われると、彼は事も無げにこう答えた。
「今聞いて知ったんですけど、全然意識していませんでした。あんまり深く考えずにやりたいです」
記録にも、重圧にも縛られない。苦労を重ねてきたベテランだからこそ到達できた“無欲の境地”がそこにあった。
初優勝と大記録達成へ懸ける想い

単独首位で最終日最終組を迎える内藤。飛行機のごとく、この地から飛躍なるか!?
「明日もこの3日間と一緒で、いいパターが入ってくれればチャンスがあるんじゃないかなと思っています」
もし優勝すれば、44歳123日でのツアー初優勝(日本人として4番目の年長記録)となり、さらに福島県出身者として初のツアー優勝者となる。
また、本大会の72ホール最少ストローク記録は、尾崎将司(1994年)と岩﨑亜久竜(2024年)が保持する「268(通算20アンダー)」だ。現在19アンダーの内藤は、最終日に「70(2アンダー)」以上のスコアを出せば、ジャンボ尾崎らの記録を塗り替える歴史的大記録まで完成させることになる。
歴史的な大記録と悲願の瞬間へ向け、無欲の苦労人・内藤寛太郎が、ついに運命の18ホールに挑む。
写真/岡沢裕行
