「グラウンドには金が落ちている。それを拾うか拾わないかはお前たちの腕次第だ」。南海ホークスの鶴岡一人監督は選手にこう言ってハッパをかけたが、プロ野球に限らずプロスポーツ選手はフィールドに落ちている金を集めるのが商売である。
プロゴルフなら「グリーン上に金が落ちている」。優勝賞金も増え、腕次第では億万長者になることができる一方で、腕がなければ拾える金の額も少なくなり、遠征費と相殺勘定すれば赤字になるプロも多い。
「ベン・ホーガン」(1912‐1997)という名前を聞いたことあるだろうか? 賞金王になること5回。史上最高のゴルファーとも称される、紛れもないトッププロ中のトッププロのひとりだ。
そんなベン・ホーガン、1936年の暮れに1450ドルの金を貯め、翌年のツアーに妻のバレーを伴って参戦したが、1938年1月には手持ちの金が、たった8ドルに。オークランドオープンで2位となり380ドルを得てひと息ついたという有名な話がある。
1934年のツアーは21試合あり、小さな毒虫の異名をもつポール・ラニアン(1908‐2002)が賞金王になっているが、その獲得賞金総額は6767ドル。そして諸経費の総額が6765ドル。わずか2ドルの黒字にしかならなかったという。ラニアンはこの年、6勝している。
アメリカでツアー競技がスタートしたのは1933年からのことだが、当時はカルカッタ・プールという、いわばトトカルチョがおこなわれていた。
前夜祭の行われるホテルに着飾った紳士淑女が集まり、そこで出場選手をオークションで値ぶみして優勝者から10位ぐらいまで、賭け率に応じて買い手に賭け金が分配される仕組みになっていた。米国ゴルフ協会がキャンペーンを行って、1940年代に入る頃には禁止されるようになった。
いずれにしてもトーナメントに1勝したぐらいでは、とても収支が黒字にはならず、ツアー通算82勝のサム・スニード(1912‐2002)は当時を振り返って「プロの99パーセントは辛うじてやりくりしながら幸運を祈っていた」と言う。
それでも彼らは腕を磨き、せっせとグリーンに落ちている金を拾い集めていたわけで、むしろ腕に見合っただけの賞金が落ちていなかったとも言える。
ちなみに、1973年日本ツアー制度施行後の賞金王と獲得賞金の推移は以下の通り。
1973年(ツアー競技数31)尾崎将司、獲得賞金4千381万4000円。初めての1億円突破は、1985年(ツアー競技数40)中嶋常幸、獲得賞金1億160万9333円。2億円突破は1994年(ツアー競技数37)尾崎将司、獲得賞金2億1546万8000円。1996年、尾崎将司、2013年、松山英樹、2016年、池田勇太の過去4回。
シード権“ボーダーライン”の獲得賞金は1973年293万3705円/1985年1045万65円/1994年、2191万9587円/1996年、1861万6823円/2013年、1281万4083円となっている。
男子プロに聞いたところ、国内ツアーを1年転戦した場合の「遠征費用」は、切り詰めて700万円、1泊1万円程度のホテルを利用してだいたい1000万円だそうだ。
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