ゴルフ界の常識を破る
運動能力の高さ

「アスリートゴルファー」という言葉が生まれたきっかけは、94年の全米オープン直後だった。南アフリカのアーニー・エルスが全米オープンに初優勝し、そのNYタイムスの記事で『エルスの出現は、まさしく「アスリートゴルファー」の出現そのものである』と書かれていた。

画像: 1994年の全米オープンでメジャー初優勝。今年と同じ「オークモント」での開催だった

1994年の全米オープンでメジャー初優勝。今年と同じ「オークモント」での開催だった

いままでより競技志向が強く、優れた身体能力を備えたプロゴルファーが誕生したというわけである。

確かに、エルスは小さい頃からその身体能力は素晴らしかった。小学生の頃に、父親にこう言われたという。

「この先、プロテニスプレーヤーか、プロゴルファーか、どちらかを選びなさい。もしプロテニスプレーヤーを目指すならテニスコートを作ってあげよう」

NYタイムスの記事では「彼の運動能力、資質は、フットボールでもテニスでも、きっとスーパースターになるほどだろう」と絶賛していたほどである。

画像: ニック・ファルド、ニック・プライスをスターダムに押し上げたレッドベターに師事。天賦の才にスウィング技術が加わり、エルスがツアーの中心になっていった

ニック・ファルド、ニック・プライスをスターダムに押し上げたレッドベターに師事。天賦の才にスウィング技術が加わり、エルスがツアーの中心になっていった

エルスは、ゴルフを選んだ。そして、デビッド・レッドベターにもスウィング技術を伝授された。レッドベターも南ア出身で、ニック・プライスとほぼ同じ時期にジュニアゴルファーとして活躍し、その後、世界的なティーチングプロとなった。もちろん、プライスやエルスらの大活躍の効能は大きかった。

しかし、エルスがブレイクし始めたのとほぼ同じ時期にタイガー・ウッズが出現し、アスリートゴルファーという言葉もウッズに奪われてしまったのである。

エルスのスウィングテンポは、穏やかでゆったりとしていて最も美しいと言われている。ウッズの前に何度も苦汁を舐めたエルスだが、僕はむしろこの先、たとえシニアになっても素晴らしい活躍をすると思う。(文・三田村昌鳳)

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