帝国ホテル建築のためフランク・ロイド・ライトとともに来日したアントニン・レーモンドは、日本の戦後モダニズム建築の牽引者として現在も非常に評価の高い設計家。そんなレーモンドは、日本国内にいくつかのクラブハウスを遺しました。
2回目の今回ご紹介するのは「富士カントリークラブ(1958年完成)」。レーモンドが設計したクラブハウス中、現存する中では最古の作品となります(門司は59年完成)。
門司同様、2012年の登録有形文化財に指定されている富士カントリークラブのハウスは『直線的で明快な立面構成になり、内部では丸太の柱や方杖を表し、石張りの暖炉を築く。レーモンドの作風をよく示す(文化財オンラインより)』という評価。一見すると山小屋にも見える意匠は、その後の彼の作風に大きな影響を与えたそうです。
こちらはコース側から見た外観。松林の中にひと際目立つ門司の赤い屋根とは対照的な、自然になじむ緑の屋根が特徴です。18番ホールのグリーンすぐ奥に位置していて、上がりホールの借景として大きな役割を果たしています。
中へ移動。「暑い日でも冷房の必要はまったくありません」と古庄支配人が言うとおり、解放的な高い屋根が特徴の食堂は空気の流れまで計算し尽くされ、快適そのものです。上に目をやると、お約束の明り取りがありますね。奥に見えるひときわ大きな窓は「ピクチャーウィンドウ」と呼ばれ、天気の良い日は富士山周辺の景色を楽しめるそうです。
門司同様、照明は奥さんノエミ・レーモンド作。こちらはミニマリズム溢れ、豪華というよりシンプルで温かみを感じます。レンガと木で構成された内装にもよく合いますね。
もちろん暖炉もあります。あまりにも雰囲気が良かったので手前のテーブルにシングルモルトを置いちゃいましたが、実際にメンバーさんたちはこんな形でラウンド終了後に談笑しているそうです。薪はコース内の木が使用されていて、杉や松のアロマが楽しめます。
こちらが晩年のレーモンド近影。1919年に帝国ホテル建設のため来日し、第二次世界大戦の開戦直前まで在日したようです。その後、第二次世界大戦終結後、再度来日し、建築設計事務所(現在のレーモンド設計事務所)を開設。戦後の日本にモダニズム思想を広めたのち73年に帰国。63年には 勲三等旭日中綬章を受章したそうですから、その功績は大きかったんでしょうね。
ちなみに富士カントリークラブのコース設計は赤星四郎と先述しましたが、レーモンドは戦前、四郎の兄である鉄馬の自邸を設計しています。そういった意味で考えれば、赤星四郎設計のコースにレーモンドのハウスが馴染むのは当然なのかも知れませんね。