六郎案では、全長7084ヤード・パー72(現行6691ヤード・パー72)です。赤星は、ここに海外に伍しても一流のチャンピオンコースを、アリソンは景観にお似合いのリゾートコースをイメージしたのでしょうか。

現在の富士コース11番は、グリーンの背後に白い灯台のあるライトホールです。海外ではライトホールはそのコースのフラッグシップですが、ここでもプレーした人はこのホールを忘れないでしょう。灯台を立てたのは日本プロ協会3代目会長・山本増二郎プロの実兄が川奈区長の時代でした。山本プロは川奈生まれ。富士コース工事中、測量助手で川奈入社、のちキャディマスターとなり駒沢コースにプロ留学。安田幸吉プロの下で修行して、川奈出身プロ第1号となります。

画像1: 【目指せ!ゴルフの雑学王】新婚旅行でマリリン・モンローと「川奈ホテル」に訪れたのは誰?

11番パー5をホールアウトし、12番ティへ向かう途中、左手にティグラウンドがあるのに気づいたことはありませんか。今は使われていませんが、エキストラホール146ヤード・パー3。りっぱな一人前のグリーンもあります。

ガイドでは「昭和32年当時、8番ホールを休ませるために使った、現在は使用していません」と注釈しています。別称・大倉ホールとありますから、大倉さんは12番のティショット待ち時間に使っていたのかもしれません。

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エキストラホールで寄り道をしたら、その序に、少し先のブッシュの陰を覗いてみましょう。グリーンの先に海岸へ降りる細道があり、その左手、ブッシュにかくれて幕末期のお台場跡があります。韮山代官・江川太郎在衛門支配で、ここに大砲を据え、相模湾を通る外国船を警戒したのだそうです。

川奈の評価はなぜ高いのか?

川奈ホテル・富士コースは、米国の名コースランキングでも、廣野、鳴尾と共にランキングを落としたことがありません。昭和の初め大倉男爵が、蹄を痛めて困ると歎いた岩盤上のゴルフコースが、それほど高く評価されるのはなぜでしょうか。

設計家の川田太三は、「川奈・富士コースには立体感がある。米国でも平坦などらーるよりも目も眩むような打ち下ろしパー3を持つメリオンの方が高い評価を受けています」という意見でした。

画像1: 川奈の評価はなぜ高いのか?

かつて大倉さんを悩ませた岩盤が、巧まずしてゴルフコースの戦略性を高めていると思います。難し気にいうと一種の不作為の効果です。富士コースには高いグリーンが多くなっています。特に15、16、17、18番グリーン高く掲げられています。デザイン的に掲げられたのではなく、当時の土木技術では難攻不落だった岩塊をそのまま芝で覆ったのでしょう。高くて小さいグリーンへ打つに緊張感が富士コースのレシピではないかと思ったりするのです。

7番ホールは、ツーウェイホールですが、2本のフェアウェイを分かつ長いマウンド列も、手に負えない岩の重なりに芝を被せただけです。難しいだけではありません。思いがけない嬉しい報酬もあります。4番・482ヤード・パー5は、1打、2打と打ち下ろし、その先にバンカーにガードされたグリーンがあります。グリーンエリア全体が硬い、ボールが止まりづらく見えるのは、恐らく海岸に突き出た岩盤の岬だったのでしょう。

画像2: 川奈の評価はなぜ高いのか?

グリーン後背部の一部が小高くなっているのは崩し残した岩くれでしょうか。グリーンをオーバーしそうになったボールは、そこに乗り上げた後、ゆるゆると戻り始めて、グリーン中央に止まりました。そのとき不意にヨーロッパシニアツアーを闘って賞金王になった海老原清治プロの言葉を思い出しました。

「アメリカのグリーンは乗ったボールを外に落そう落そうとしている。英国のグリーンは、外のマウンドに落ちたボールでもグリーンへ呼び込んでくれる。だから英国が好きだし、川奈は英国系の名コースですね」

難しさのあまり米軍は16番を1メートル低くした

大島コース開場と富士コース開場の間に8年6カ月の開きが生まれたもうひとつの椿事は、昭和8年、川奈ホテル大島コースを対象とした静岡県の突然のゴルフ奢侈税の課税です。静岡県は財政不足で、ゴルフ税と同時に種繭税まで決定していました。

ゴルフ税は、1人1回1円(後に50銭に減額)。大倉は「ゴルフはサラリーマンのスポーツ、慰安だ」と課税に猛反対。森村市左衛門中心の関東8クラブも励まし会を開いて応援します。政党では、政友会がゴルフ税に賛成、民政党は反対だったそうです。10数万円の税収を見込んだ県知事は、川奈ホテルの抵抗に「金持ちのわがままだ」とカンカン。一般大衆も、ゴルフには厳しかったようです。

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しかし大倉財閥は強気、県議会の議決に対抗して、昭和9年4月1日、川奈ホテルと大島コースを閉鎖します。裏面で政界工作がくりひろげられたことでしょう。昭和9年7月14日、県議会はゴルフ税撤廃を決議します。

解決条件は、①川奈ホテルは、税相当額の4313円を県に寄附する。②鉄道省と県は100万円を融資(年利3分8厘で30年賦)、大倉組20万円出資。計120万円で川奈地区に伊豆川奈観光施設を造る、というものでした。大倉組は30万円をホテル、70万円をゴルフリンクスの整備・造成に充てますが、ホテルもゴルフコースも、富士コースが完成した後、昭和17年に海軍病院に接収されます。

敗戦後の昭和20年10月には米軍が進駐。昭和22年2月からは英連邦軍と交代。昭和27年6月、講和条約発効でホテルもコースも大倉組に返還されます。米国占領中、あまりに難しすぎるというわけでしょうか、16番パー3のグリーンを約1メートル切り下げたそうです。現在のプレーヤーはその恩恵を受けているわけです。それにしても、今より1メートル高い16番グリーンを想像できますか。

画像2: 難しさのあまり米軍は16番を1メートル低くした

昭和37年(1962年)、第3回世界アマチュアチーム選手権が富士コースで開催されます。セントアンドリュース、メリオンにつづく第3回大会でした。考えようでは川奈は世界3位のゴルフリゾートの折紙がついたことになります。優勝は米国チーム。後のUSPGAコミッショナーのディーン・ビーマンも選手の一人でした。日本チームは、広瀬義兼、中部銀次郎、鍋島直泰、石本喜義で第9位でした。

この開催による「世界のゴルフリゾート川奈」を見届けたように、昭和38年2月に大倉喜七郎は80歳で死去します。喜七郎は「最後のミリオネア」といわれ、日本文化のパトロンでもありました。札幌オリンピックで有名な大倉山シャンテその名の通り彼の寄贈。日本棋院の生みの親でもあります。

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彼の死後、マリリン・モンローとジョー・ディマジオが新婚旅行で川奈に宿泊。ソ連のエリツィン首相と海部俊樹首相の川奈会談も有名です。川奈にゴルフに来たら、当日はセルフで大島コース、翌日富士コースをキャディ付きで回ってください。喜七郎男爵は、18ホールはチャンピオンシップで、18ホールはビギナー用と分けて考えていたようです。英国流ですね。

川奈ホテル名物は、フルーツケーキと1階カクテルラウンジのオリジナルカクテルです。お薦めは、明日の縁起を担いで「バーディ」、ピムスNO.1とカンパリ、レモン、トニックウォーターのカクテルです。大倉男爵が愛したシェリーベースの「バロンスペシャル」もどうぞ。フルーツケーキは予約が必要。

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2007年ゴルフダイジェスト社刊
田野辺薫「一度は回りたいニッポンの名コース」より

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チームGDミニツアー関東サマーシリーズ第3戦は
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