タイガーの小技は588で磨かれた
1997年のマスターズ、前年秋にプロ入りした21歳のタイガー・ウッズが数々の記録と共に初優勝した。まだクラブ契約をしておらず、ウェッジはクリーブランドのTA588。クリーブランドゴルフの創始者でクラブ設計家のロジャー・クリーブランドが88年に開発、ティアドロップ型の原型となったモデルだ。
その後タイガーが破竹の勢いで勝ち始めた頃、タイトリストも本格的にウェッジの開発に乗り出す。タイガーとの契約話が進んでいたこともあり、スーパースターの要求に応えるモデルの開発が急務だった。その役を担ったのがボブ・ボーケイで、98年には彼の名を冠した200シリーズが完成している。
プロ入り当初、タイガーがクリーブランドのRC588というプロトタイプを使っていた。この当時クリーブランドゴルフはすでにロシニョールに売却されていたが、RCというモデル名からもわかるようにロジャーの息がかかっているモデルだ。
また同時期、タイガーはTA588RAWも使っていた。RAWは「生の」という意味で、鋳型から取り出したままのヘッドで、フェース以外はほとんど研磨されていない。そのまま使ってもいいいし、好みの形状に削ることもできる。
ボーケイにしてもやはりタイガーの影響は大きかった。タイガーがボーケイのウェッジを使い始めたのは、98年からで、当時彼は56度と60度の完全ノーメッキを好んで使っていた。その後、ツアーでも急速に広まっていった。
またタイガーは、たとえば58度のモデルを59度にする場合、一旦立てた後、再びネックを曲げて59度にするといった方法も採用していた。ボーケイは当初、形状的なバランスが崩れるので、最初から59度のモデルを使うべきだろう、と乗り気ではなかった。
だが、ロフトを立てれば結果的にバウンスが少なめになるし、次にもう一度ネックを曲げてピタリ59度にするとわずかにグースネックになる。タイガーはこの微妙な変化を望んでいて、ボーケイも結果には納得せざるを得なかった。この方法は当時日本でも流行した。
その後タイガーはナイキへ移行。一方クリーブランドはロシニョールを経て、2007年には現在のダンロップの傘下に入った。創始者であるロジャー・クリーブランドは現在、キャロウェイでXシリーズのウェッジなどを開発している。
時代は変われど、ひとりのスーパースターを軸にクリーブランドとボーケイがシノギを削ってきたことでウェッジの完成度が高まったのは、間違いない。
文/近藤廣
(月刊ゴルフダイジェスト2014年11月号より)