ジャンボ尾崎はゴルフ界の田中角栄か

政治とは「権力」の争奪戦だ。果たしてジャンボの手にした「権力」とは何だったのか。

結論から言えば政党であれ、企業、役所であれ、すべての集団における権力は、突き詰めれば人事権にある。カネや社会的地位、あるいは名声は強引な言い方をすれば、「気に入らない者のクビを飛ばせる」能力を握った者に、自然とついてくるのだろう。

すべての集団と言ったが、ひとつだけ例外があるとすれば、それは人事権よりも実力がモノをいうスポーツの世界である。もっとも野球やサッカーのような団体競技では「ポジション」という名のポスト(人事権)が存在するし、個人競技でも相撲などでは「所属部屋」という派閥力学が存在する。純粋な意味で、実力主義にはなり得ないのだ。

画像1: ジャンボ尾崎はゴルフ界の田中角栄か

その点、あくまでも個人競技で、シード権を除き、過去の実績さえ一切加味されないゴルフは「権力」という言葉とはもっとも無縁な世界のはずである。ところが‥。ジャンボに、実力者というイメージと同等に「権力者」というイメージがつきまとうことに、日本のゴルフ界の不幸があるのではないだろうか?

こうした批判の矛先となるのが、決まって「ジャンボ軍団」の存在だろう。しかしながら軍団に所属したからと言って、シード権が貰えるとか、スコアを2つオマケしてくれるといった恩恵はない。となれば、少なくとも(ジャンボが意図した)軍団とは、ゴルフの修練の集団であって、権力集団とは程遠い。

そもそも多くの軍団批判が、たとえばジャンボがフェアウェイで煙草を吸うとか、そのファッションが下品といったジャンボ批判にすり替わること自体、ナンセンスである。

画像2: ジャンボ尾崎はゴルフ界の田中角栄か

つまりマスコミも若手選手も、その実力を正統に評価することなく、実力から生まれる「権力」のイメージに振り回されているだけのことだ。権力が独り歩きすることは、古今東西、政治学の常識だし、それに震え上がるのは無力の証明に過ぎない。

少なくとも軍団が批判されるのであれば、それはジャンボ批判ではなく、「ジャンボには勝てなくて当然」と考えているであろう、無力な軍団の構成員であろう。そして真の意味でのクーデター(権力イメージの崩壊)を望んでいるのは他ならぬジャンボ自身に思えてならない。

1995年月刊ゴルフダイジェスト10月号より

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