ゴルフ家系に生まれ、順調だったアマチュア時代~プロ転向当初
祖父も父もプロゴルファーという家庭に育ったデュバルは当然ゴルフを始める。ジュニア時代からその実力は秀でており、1989年の「全米ジュニア」を制覇。ジョージア工科大学時代にはオールアメリカンに4度選出されている。
大学卒業後1993年にプロ転向すると、すぐさま下部ツアーで2勝。1995年から本格的にPGAツアーに参戦し、1997年の「ミゲロブ選手権」でプロ初優勝を飾ると、翌週の「ウォルト・ディズニー・ワールド・オールズモビル・クラシック」でも優勝。この年は賞金ランク30位までの選手が出場できる年間最終戦の「ツアー選手権」でも勝利を収めた。
世界ランク1位となり、“タイガーのライバル”になる
1998年シーズン、マスターズは惜しくも2位に終わったものの、年間4勝を挙げ、初の賞金王に輝いた。そして1999年には、3月の「ザ・プレーヤーズ選手権」で優勝し、タイガー・ウッズを抜いて初の世界ランク1位になった。この年は開幕戦「メルセデス選手権」から4月の「ベルサウスクラシック」のわずか4カ月の間に4勝。まさしく世界ランク1位にふさわしい活躍だった。
この頃からタイガー・ウッズとの優勝争い、世界ランク1位争いがゴルフファンの興味をそそり、“タイガーのライバル”とも言われた。
2001年「全英オープン」で勝利し、“メジャー無冠”を返上
2000年は年間1勝に終わったものの、2001年「全英オープン」は悲願のメジャー初制覇を達成した。アーニー・エルスやダレン・クラークなど錚々たる顔ぶれが揃う大混戦となったが、最終日「67」を記録し、勝利した。“無冠の帝王”だったデュバルが、その汚名を返上する結果となった。
またこの年は、「ダンロップ・フェニックス」出場のため初来日すると、手嶋多一とのプレーオフの末、勝利した。
背中、腰の故障、婚約者との破局など重なる不幸で、まさかの大転落
順風満帆なプロ生活を送っていたデュバルだが、2002年になると急変する。デュバルは2000年に背中の負傷のため、ツアーを10週間も欠場したことがあった。その持病に加えて、この年スノーボードで肩を怪我したのだ。婚約者との破局も重なったこともあり、シーズン未勝利に終わる。また翌2003年には、頭位眩暈症だということが判明。頭位眩暈症とは三半規管に異常が起こる病気で、平衡感覚が大事なゴルファーとしては致命的といってもいい。
その後はシード権を失い、数年間はスポンサー推薦のみの限られた出場試合数でプレーする厳しい状況が現在も続いている。
世界を制した超“個性的”なスウィング
特徴的なのは、超フックグリップで構えるアドレス。そしてダウンスウィングでは身体を開きながらクラブを下し、ボールを見ない「ルックアップ打法」だ。教科書通りではない、この個性的なスウィングで世界のトップまで登り詰めたのだ。ちなみに上の連続写真は2011年撮影。体型がちょっと、いやかなり、往時に比べるとポッチャリしているのは否めない。
デュバルの復活を期待するファンは多い。タイガーと熾烈な優勝争いを演じた、あの時の輝きをファンは待っている。