マナー違反や他者を傷つける行為は許さなかった父の姿
連日のように相撲界の暴力問題が取り沙汰されている。暴力が許されないという正論に疑念の余地を挟むつもりはない。しかし疑問なのは果たして愛のムチはどうなのか、ということ。ゴルフ界で父子鷹と呼ばれてきた名手たちの多くは親や指導者の鉄拳制裁を経験している。殴られてもなお歯を喰いしばり果敢に立ち向かうものだけが頂点にかけ上がってきた。ゴルフ界の愛のムチ伝説を紐解く。
宮里優作はもの心ついたときから指導を受けてきた父・優さんにゴルフのことで叱られたことはないという。「9割褒めて、1割課題を与える」というのが父の方針だからだが、その分マナーには厳しかった。
「ラウンド中パットを外してため息をついたり、少しでもふて腐れた態度をとったりしようものなら猛烈な勢いでパターが飛んできました」(優作)
「下手だから外したのに、こんなはずじゃない、自分はもっとできずはず、と思い上がっているからため息がでる。そういうときはそれこそ息子を殺すつもりでパターを投げました」と優さんは振り返る。
親子の愛のムチの歴史は優作が小学生の頃にさかのぼる。野球部の先輩がバスのなかで自分の席に座っていたことに腹を立てた優作が思わず先輩を殴りつけたのだ。
その話を聞いた父は優作を人前構わず殴りつけて先輩の家に謝りに連れて行ったという。先輩の前で平身低頭、心からの謝罪をする父の姿に優作は心打たれた。
「優作、もうオレにこんな惨めな思いはさせないでくれ」。ぽつりといわれたそのひと言がこたえた。「あれからです。自分の性格が変わったのは」。血の気が多く何かあるとすぐカッとしていた彼はその後、常に冷静沈着、周りへの気配りができる優等生へと成長した。
指導中に口より先に手が出るタイプだったのが伊澤利光の父・利夫さんだ。息子がプロになると宣言した途端鬼コーチに豹変した父のスパルタは凄まじかった。
ときには冬、無防備なまま池に突き落とされたこともある。練習がなっていないとアイアンでしこたま殴られたことも。その翌日、父が殴ったせいで曲がったアイアンを見て「道具を粗末にするな」とまた殴られるなど愛のムチを超えた理不尽な暴力を振るわれたことも。
それでも抵抗できなかったのは熊のように(失礼)体格が立派だった父には「力では絶対に敵わない」という諦めにもにた気持ちがあったから。だがゴルフのいろはを厳しく手ほどきしてくれた父には「感謝しています」と伊澤は笑顔を見せる。
父のしごきがあったからこそ01年にマスターズで4位という輝かしい戦績が生まれた。その年は賞金王にも輝いた。
ゴルフ界のキングこと故アーノルド・パーマー氏が「キング・オブ・スウィング」と称された陰には少年の日の愛のムチがあった。
ところで宮里は次週いよいよマスターズに初挑戦する。待ちに待った晴れ舞台にはもちろん父が同行する。「まだ優勝争いするほどの実力はない」と控えめに語る優さんだがゴルフは最後までなにがあるかわからない。諦めない姿勢を是非我々に見せて欲しい。
写真/姉崎正