靴一つカップから離れて球を拾え
マーク・オメーラやペイン・スチュアートたちはカップのボールを拾うとき、つま先をカップから40センチも50センチも離してぐーんと腕を伸ばしてピックアップしていました。日本のトーナメントではほとんどのプロが15センチから10センチ。体型の違いといっても違い過ぎます。
あちらでも短いパットをはずしたり、そのホールのスコアを崩したりした不機嫌さんは近くまで踏み込むし、日本でもバーディを決めたご機嫌さんはマークやペインのように離れて精一杯腕を伸ばして、かっこよく拾う姿が見られます。
どういうことなのだろう。首を傾げてビデオ・チェックをしていた1990年代の終わり頃、相模CC・千葉四郎さんの「したがって、カップまわりは立入禁止区域である」とのパッティング研究と出会いました。
そして同じように突然に、1990年頃、ハービー・ぺニック師の「リトル・レッド・ブック」の中で衝撃的な言葉と出会いました。
「ボールを拾い上げるとき、どれだけカップの近くを踏まないようにするかを見ると、そのプレーヤーがどれだけ思慮深く、思いやりのある人であるかが分かる」というもの。私はウワーオと叫んだものでした。そうか、人のパッティングラインへの思慮なのか。マーク・オメーラの50センチは思慮深さであり、ペイン・スチュアートの伸びた右腕は思いやりであったのか、と分かってきました。
しかし、そうだとすると、日本人の中でも腕も足も短いほうの私などはどうすればいいのでしょう。問題はぺニック師の言う「どれだけ」です。「どれだけ」とは、どれだけなのか。
そんな隔靴掻痒(かっかそうよう)を抱いたまま数年が経って、ぺニック師のまた別な書を読んでいたとき、ベン・クレンショーやトム・カイトに教えたパッティング法に目が止まりました。それは「強く打つな。入るボールも縁でまわって遠心力で飛び出してしまう。ホールの縁で止まりかかって落ちるように打てばどこからでも入る」という教えでした。千葉四郎さんの考察「カップの近くは立入禁止区域」のきっかけも、実験中の「やっと届くゆるい球はカップの傍で靴の踏み跡によって無情にも逸れてしまうことがある」という発見でした。お二人の言う止まりかかるゆるいボールとは、最後の一転がりかふた転がりのボールということでしょう。
閃いた私は、中学時代のもっとも不得意な学科に嫌でも舞い戻らざるを得ませんでした。つまり、ゴルフボールのふた転がりは、ゴルフボールの直径カケル円周率の3.14カケル2です。答えは26.8センチでした。ふむふむ、これはいまの日本人男子の普通の靴のサイズではないか。
こうして私の長き研究「カップの中のボールを拾い上げる行為に於けるどれだけ離れて思慮深く行うかのどれだけの探究」は「靴一つ」という普遍的目安に至ったのであります。長身のミケルソンはミケルソンなりに、短足の私は私なりに。体型のいかんに関わらず靴一つ分はなれてボールを拾いましょう、と。
若い雑誌編集者は「ワン・シューズ」と書いてくれました。
「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
写真/増田保雄