国内女子ツアーのメジャー第1戦ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップは鈴木愛、イ・ジョンウン6の若き日韓賞金女王を退け、元米女子ツアーマネークイーン、シン・ジエが優勝を飾った。日米韓の賞金女王の競演も見応えがあったが、今回注目するのはキャディ。「シンの隣に懐かしい顔を発見し思わずおめでとう! とつぶやいてしまった」というゴルフライター・川野美佳が、秘話を語る。

かつて丸山茂樹のキャディを務めた

シン・ジエを優勝に導いたのはかつて丸山茂樹の専属キャディを務めた斎藤優希さんだ。20代半ばでキャディを退き丸山のホームコース、ファイブエイトゴルフクラブで業界最年少(25歳!)で支配人に就任した人物。3年前にコースが閉鎖されてからは再びプロキャディの世界に戻ってきた。

明治大学を中退してプロキャディになった斎藤さんは丸山が米ツアーに本格参戦するのと相前後して支配人に転身した。結婚したこともあり米ツアーでバッグを担ぐ夢を断念し日本に残る形になった。

斎藤さんの役割を引き継いだのがゴルフチャンネルの解説などで活躍する杉澤伸章さんだ。駆け出しの頃杉澤さんは横田真一らのバッグを担いでいたが稼げなかった。キャディの実入りだけでは食べていけずトンカツ屋や造園業のバイトで食いつなぐ日々を送った。

その頃すでに丸山の帯同キャディだった斎藤さんの懐は暖かく杉澤さんを幾度となく「飯に誘ってくれました」。「僕が腹ペコなのを知っていて、どんどん食えといってくれた。あのときの恩は一生忘れません」

2人の運命が交差するのは02年のバイロン・ネルソンクラシック。丸山とともに米ツアーを転戦していた杉澤さんがビザの書き換えのため一時帰国した試合で斎藤さんがピンチヒッターを務めたのだが、その試合で丸山はタイガーやビジェイ・シンといったビッグネームを抑えて優勝を飾ったのだ。

画像: 2002年のバイロン・ネルソンクラシックで丸山茂樹のキャディバッグを担いだのが斎藤優希さんだ(写真/2002年のバイロン・ネルソンクラシック、撮影/田辺安啓)

2002年のバイロン・ネルソンクラシックで丸山茂樹のキャディバッグを担いだのが斎藤優希さんだ(写真/2002年のバイロン・ネルソンクラシック、撮影/田辺安啓)

杉澤さんにしてみたら「手柄を取られた」と思うところだろう。周囲にも「(斎藤)優希にいいところを持っていかれたな」「1つ優勝を損したな」と声をかけられ、斎藤さん本人もすまなそうに「ごめんな」。

だが杉澤さんは「心から祝福する気持ちでいっぱいでした」。なぜならアメリカでやりたいと内心では思っていた斎藤さんの夢を自分が奪ってしまったのではないか? という負い目があったから。だからその1勝は当然斎藤さんが勝ち取るべきもの。「もうこれで遠慮することはない。今度こそ自分の番だ」と気持ちを切り替えたことで杉澤さんは丸山の米ツアー3勝目にも立ち会えたのだ。

杉澤さんが“恩人”という斎藤さんは20年以上前から変わらず礼儀正しい好青年だ。74年生まれの44歳だが見た目は20代の頃と変わらず青年と呼ぶにふさわしい。

丸山という天才ゴルファーがときにメディアとぎくしゃくするような場面でも斎藤さんはその礼儀正しい笑顔で選手とメディアの緩衝材になってきた。

良いキャディの条件はいろいろあるだろう。残り距離の計算やグリーンの読みは当たり前。選手によっては「余計な口出しをしない」ことが条件の一番目。「歩く速度やプレーする速度。ペースが合わなければいや」という人もいる。選手が苦しんでいるときにスッと気持ちを切り替えられるようなさりげない会話ができることも良いキャディの条件だろう。

だがもっとも大切なのは選手の気分に惑わされず、常に冷静にフラットな精神状態でいること。いざというときに選手が求めるものをさっと差し出せること。そのために必要なのが人間力だ。

シン・ジエが強いから勝った。それは揺るぎのない事実。だが選手に寄り添い勝つべくして勝つ雰囲気づくりをしたのは斎藤キャディの手腕に違いない。

HONMA

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