ホールインワンが出る確率は「1万ラウンドに1回」だが……
ホールインワンの確率は1万ラウンドに1回。アルバトロスの確率は20万ラウンドに1回だと、ある保険会社の人から聞きました。
アルバトロスのほうは、週1ペースで年50ラウンドするとして4000年。漢詩の白髪三千丈級の数字です。秦の始皇帝がゴルフを週1ペースでやってきたとしても未だ果たせず、あと1800年かかるかも知れない、という計算です。それを私が10年ほど前にしでかしました。腕でも何でもなく、単なる中国四千年的偶然。
その時、頭の中に思いついたことは私のゴルフ歴の中の1ホールでのストローク数のコレクションでした。せっかく「2」を手に入れたのだから、ぜひ「1」から揃えて陳列したいものだ、と。多いほうは、昔、相模CC6番パー3のバンカーで大叩き。パーの数の3倍を超えていたのですが、意地悪な先輩に後ろの組が来ていないから続けろよと言われ、「15」「14」以下はほかで経験していますから、待つのは1つ「1」です。
人間祈願してみるものです。成就の日はとうとう来ました。太平洋Cの江南コースへ1人で出掛けたところ、幸いにもご用で来ていた大町昭義プロと、2人の知り合いと回ることになりました。12番パー3、ボールが消えたわけです。私は見ていませんでした。方向はよしと見て、飛んだティを探していましたから。周りの異常な歓声で見ようとしたとき、ボールはすでに落ちた後でした。
「いいですか、鈴木さん」大町プロが言いました、「先に行って1人でカップを覗いてボールを拾ってください。ボールがいつもとは違う顔をしていますから」と。行く前に言うところがお見事。そう言われたら、違って見えるではありませんか。
「いい顔してたでしょ」と言われて、他の人にはナイショの気分。「ホント!」と目を丸くしてほくそ笑んでしまいました。秘密の宝物を抱いた少年の喜びのような感情を、60路半ばの心身萎びた男に大町プロはお祝いに贈ってくれたのでした。プロのお洒落な流儀でした。
バブルの頃にはホールインワンをすると、本人が定期預金を崩してホテルでパーティを催すような騒ぎ方が珍しくありませんでした。そんな馬鹿げた席の酒が美味いわけはなく、趣味の悪い引き出物を持ち帰らされるのも邪魔臭いので、私は返信ハガキに「残念ながら所用あり」と書いて投函していました。ホールインワンパーティは、6インチ動かすゴルフと同様、日本のゴルフにもたらしたちょっと恥ずかしい風景でした。
ホールインワンは、周りが「おめでとう」と軽く祝杯を挙げるもの。私は機会あればそう話し、そうしてきました。
江南でのときも私の主義信条をよく知っているみんなが、上がってからシャンパンで乾杯してくれました。事前に大町プロがキャディマスターに何か囁いていました。やがて食堂のテーブルに12番の旗が届けられました。3人とキャディさんが旗の四隅にサインと寄せ書きをして、嬉しい記念品にしてくれたのです。
私がしたことといえば、4人への返礼のシャンパンを送ったことだけでした。
「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
撮影/岡沢裕行