芝目と言えばボールの転がりに影響を与える、ゴルファーにとっての悩みの種。よく「池に向かって順目」や「富士山から順目」なんて言われることがあるが、果たして本当にその通りなのだろうか? 知っているようで知らない芝目の謎を、コースに関するプロフェッショナルたちに聞いた。

「池に向かって順目」はコース設計の意図通り?

芝目といえばボールの転がりに影響を与える重要な要素の一つ。グリーン上でのボールの転がりは、傾斜はもちろん、芝目に左右される部分も大きいというのはゴルファーの常識だろう。

ゴルファーを悩ませる芝目だが、そもそもなぜ芝目はできるのか。コース設計家の佐藤毅さんに話を聞いた。

「大前提として、芝目ができるということは芝が寝てしまうほど長くなっているということ。コースの管理技術は3~40年前と比べて格段に向上しているので、周辺環境の影響を除けば、基本的にはコース設計で意図された芝目ということになります」(佐藤)

つまり、芝目は「ないけど、ある」ということになる。もっと言えば、意図しない芝目は基本的には少なく、コースの設計上の仕掛けとして、芝目は存在するということだ。

たとえば、池周辺の芝目。池からすぐに切られたピンに向けてのアプローチやパットは、「池に向かって順目だから、タッチが難しいぞ……!」なんて思うものだが、これもコース設計者の意図通り?

「そういう設計のコースも、もちろんあります。これは植物が太陽光に向かって成長する性質を利用しています。水面が太陽光を照り返すため、芝はより近い光源である池の方を向くように成長し、結果的に順目になるのです」(佐藤)

コース設計の際には土木工学や土壌に対する理解はもちろん、周辺の気象情報や植物学など幅広い知識を頭に入れておく必要がある。その知識の中から、コースのギミックの一つとして芝の性質を利用しているということだ。

もう一つ、ゴルファーの間で常識として語られる「富士山から順目」というものがある。富士山などの高山を望むゴルフ場で、そこまで距離が近いわけでもない富士山に芝目が影響されるなんていうことはあるのだろうか。

画像: コース上から富士山が望める東名CCなど、富士山が見えるコースでは「富士山から順目」はいわば“常識”だが……

コース上から富士山が望める東名CCなど、富士山が見えるコースでは「富士山から順目」はいわば“常識”だが……

佐藤さんは「芝の長さがあれば多少は芝目ができることもあると思いますが、基本的にはできません。富士山があるからといって芝目に特に影響はないと思います」とバッサリ。

同じ質問を、東京よみうりCCのコース管理をつとめる“芝のプロフェッショナル”、大橋敬之グリーンキーパーにも聞いてみた。

「御殿場周辺のキーパーの意見を総合すると『富士山からの順目』は迷信だと思います。芝目がどうというよりは、富士山の裾野の全体傾斜による錯覚のほうが大きいと思います」(大橋)

両者とも富士山の存在が芝目に影響を与えることはないという結論。その上で「富士山からの順目」の真実は“霊峰富士が見せる天然のトリック”であると大橋さんは推測。ゴルファーの通説とコースに関するプロたちの意見は食い違う形となった。

しかし、それでもゴルファーとしては「富士山からの順目」はどうしてもあるように思えてならない。コースによっては、キャディさんが毎ホール、富士山など芝目に影響する山の位置を教えてくれたりもするではないか! というわけで、今度はグリーンを読むプロである、プロキャディに聞いた。話を聞かせてくれたのは、今平周吾のエースキャディとして活躍する柏木一了(かずのり)さんだ。

「たしかにコースの(専門家の)人は、芝目はありませんと言いますが、これに関しては星野英正プロの名言があるんです。『芝は生きているんだから、芝目はある!』と。私自身、目は存在すると思っています」

というわけで、グリーンを“読む”プロは、芝目はあると証言してくれた。一方、コース管理課での勤務経験のあるプロゴルファー・中村修はこう言う。

「今の時期は肥料もたくさん入っていますし、グリーンの芝は1日で3〜5ミリは伸びます。たとえば朝7時くらいから刈り始め、8時半くらいに刈り終わるとしたら、15時までには1〜2ミリほど伸びていることになります。ですから、午後になるほど目が出る可能性はあります」(中村)

目は基本的にはない。しかし、1日の芝の生育によって目が生じる可能性はあるというわけだ。ただ、コース管理課としては芝が寝ないように日によって様々な方向から刈ったり、芝がそもそも寝ないよう育て方を工夫したりしている。それでも芝が寝たらブラシを入れて立たせたりという努力も影ながらしているのだと中村はいう。それでも、急傾斜やゴルファーが一方向に歩き続けるカート停止位置付近の芝目などには、どうしても芝目が出るケースはあるという。

あるようでなく、ないようである芝目。グリーンを読み切るのはそれだけ難しく、難しいからこそゴルフは面白いのかもしれない。

This article is a sponsored article by
''.