後始末のゲームと心得よう
映画『プリティ・ウーマン』にポロの会場のシーンがありました。ゲームの休憩時間になるとアナウンサーが「お願いがあります。剥がれた芝生を直すのにご協力ください。さあ、みなさん、グラウンドへ」と促します。
ジュリア・ロバーツ扮するビビアンをはじめ、着飾ったレディース&ジェントルメンがひっくり返ったターフを靴のつま先で上向きに直し、お洒落靴が汚れるのも構わず面白がって踏み固めます。「みなさん、これは当クラブの伝統です。かつては王も王妃もやりました」映画はアメリカの話ですが、このシーンはまぎれもなくイギリス様式の風景です。この後、女性の靴をポロの選手が磨く、これもまた伝統の習わしだったそうです。
ゴルフを嗜む者の頭には「お楽しみの次は後始末」というゴルフ規則の第一章エチケットの一句が浮かんでくる場面でした。「ゴルフは自分のミスショットと付き合うゲームなり」これはゴルフ名言集を読むまでもなく、誰しもが体験的にいやというほど思い知らされてきた現実です。
そして、ミスショットをしたら後始末(リカバリー)。私の先輩で万年ダッファーの某老先生などは、恐ろしく開き直っています。いわく「バンカーショットはもちろんだが、そもそもアプローチショットなんてものはグリーンに乗らなかったショットの後始末だね。セカンドパット以後のパットなんてものはファーストパットの後始末。
「僕の場合はね、朝の第一打からしてミスショットですからね、その後の百十何打すべてが後始末なんだ。朝の第一ミスショットの後始末の儀に、その日一日体力気力のすべてを捧げるんだ。分かるかね、この苦役の気持ち」と。老先生にここまでニヒリズムの重しを背負わせるのもゴルフならでこそ。「僕なんかには辛い一日なのよ」と皺を作って笑います。
さて一方、ゴルフはやむを得ず芝生を傷め、グラウンドを傷つけるゲーム。ここでも後始末の儀が求められます。芝生は使い捨ての消耗品ではありません。アイアンショットで剥ぎ取られたターフはまだ生きています。ディボット跡にはめ戻し、隙間を目土砂で保温してあげれば生き続けます。放置すればただのゴミです。時間が経てば枯れて死にます。生き物を殺すゴルフでいいのですか。
バンカーならしもグリーンのボールマーク直しも、折れて飛んだティペグを探して拾うことも、後始末。後始末をしない人はゴルファーにあらず、ただの「ゴルフ場荒し」です。読者諸君にはいらっしゃらないと思います。
マイケル・マーフィーはその名著「王国のゴルフ」で哲学者タイプのプロ、シーヴァス・アイアンズの口を借りてきついことを言っています。
「ゴルフは打撃と凶器のゲームである。ゲームを続けるためには、一打ごとの破壊行為の償いをしなければならない。どこのゴルフ倶楽部にも自分のディボットを戻そうとしないゴルファーがいるものだ。そんなゴルファーのあとの人生、タカが知れている」と。
プレー後の始末をするという約束がないとやってもらっては困るのがゴルフです。だからゴルフ規則の冒頭に後始末のエチケットが書かれてあるのです。
「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
写真/澤田仁典