叱る心があり聞く耳があった
内外のゴルフ倶楽部を拝見してきて、私は一つの例えばの話に至りました。
身体上の理由でもうプレーができなくなったとします。その時、人はどっちになるのか。もう在籍していても意味がないからと倶楽部を退会するか、プレーができなくなくてもこのままクラブライフを楽しみ続けるか。
核家族社会の今日だからこそ、昔の大家族のような、あるいは昔の村や下町のような、ある価値観をみんなで共有し、継承していく、その責任も喜びも共にするソサエティとしてのゴルフ倶楽部が、いま羨ましい存在となっています。残念ながらそういうゴルフ倶楽部はわが国には数少ない。
しかも、そういうエスタブリッシュなゴルフ倶楽部でさえ、かつては横溢していた和みや厳しさが近年どことなく綻びつつあるのだと耳にします。
以前、神戸ゴルフ倶楽部を訪ね、理事長・高畑宗一さんにお目にかかったことがあります。忘れられない1日になりました。なにしろ、ご祖父が日本に英国ゴルフ様式を根づかせた高畑誠一さんという血筋でいらっしゃる。神戸は600人の会員とその家族の皆さんが家庭的な和やかさで結ばれているソサエティです。
「昔の年寄りのメンバーはとにかく怖かったですな。それにプレーが速かったです。すぐに追いつかれて、さっさと歩け、前を空けるな、ですからね。自分たちでは遅いとは思わんのですが、遅いと叱られる、それでコースの中の流れのスピードというものに気づくんですな。言われなくては、わかりません」
自分たちとしてという「自分時計」は通らないソサエティでした。言われてみて分かるから、注意の主を尊敬しました。
ボールを探しているとすぐに後ろから「パスさせろぉ」の声が飛んでくる。パスさせるのはいいが、すぐまた次の組に追いつかれて、また「パスさせろぉ」を言われる。それが悔しいですからラフにそれたボールをみんなの目で真剣に追う。一生懸命ボールを探す。高畑さんたちはこうして神戸のゴルフを素直に覚えました。
「昔の人はずばずばものを言ったですな。言ってくれたというんでしょうか。威厳がありました。威張っていたんではなくて、厳しいけれど、話がちゃんと通っておりましたな」
ちゃんとしているから説得力があって、ただの叱るではなく、教える、伝えるになっていたのでは。
「そうです。優しかったです。ハウスのベランダから十八番を見下ろしている目がいつもありましてね。おーいコラ、もよく言われましたが、おーい上手くなったな、ともよく言ってくれました」
あの若いのはよその子だが、うちの倶楽部の子だ。そういう認識です。上の世代の者としての自分に対して厳しかったというべきでしょう。
「いまでもここにはその空気がありますが、もっとはっきりしていましたな。僕なんか、もうとっくにあの人たちの歳になっているんですが、いやぁ、どうも」と高畑さんと温顔に恥じらいの表情が重なりました。
「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
写真/西本政明