武士道ゴルフは 勘定にこだわらない
恋に落ちると、その人の名前とたった一文字でも同じ名前に目が止まる。耳に入ってくる言葉や音楽が都合よく自分たちの世界のものになる。恋とはそういう病いなのだとか申します。ゴルフと恋仲になって三十余年。新聞、雑誌に目を這わせていて、ゴルゴ13やゴルバチョフなどの活字に何度目を引かれたことでしょう。
ゴルフ以外の本を読んでいても話がゴルフのこととだぶって読めてしまう。中身のいい本ほどそうなります。ある一文をご紹介します。
「もし何かなすべきことがあるとすれば、それをなすための最善のやり方が存在するはずである。(ゴルフの)礼儀作法の最善の方法とは、いちばん無駄がなく、もっとも奥ゆかしいものである。スペンサー氏は「奥ゆかしさとはもっとも無駄のない立居振舞いである」と定義した。(ゴルフコースは、ゴルフクラブ、グリーンフォーク、バンカーレー キ)などを扱う一定の手順を教える。初心者には退屈にすら思える。だがまもなくその人は、定められたとおりの方法が結局は時間と手間を省く最上の方法であることを発見する」
実はこれ、新渡戸稲造さんの名著『武士道』の一節をちょっと変えたものです。一つ目の()は私が加え、二つ目の()内は原文が「茶の湯の集まりは茶碗、茶杓、茶巾」となっているのを書き換えました。
奈良本辰也氏の手になる現代語訳『武士道』は、たいへん読みやすく、途切れることのないロングセラーとなっています。
ゴルフと恋仲の者が読むと、『武士道』のテーマ、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義 .......そこに説かれている言葉の数々は、まことに都合よくゴルフ道の教えとも読めます。それは昔からゴルフ名言が幾筋も幾筋も隠されているといわれるシェイクスピア戯曲よりもずっと分かりやすく、ああこれはゴルフマナーの極意だな、ああこれは中部銀次郎さんのいうセルフコンセントレーションのことだな、とうなずかされるところばかりです。
「優雅な作法を絶えず実践することは、余分な力を内に蓄えるにちがいない」
「些細な挑発に腹を立てることは『短気』として嘲笑される」
稲造という人は、明治三十三年、三十八歳の時にこれをアメリカ滞在中に英文で書き、アメリカで出版し、世界各国で称賛されました。ただただ驚くばかりです。
近代経済学の行く末を危ぶみ、金権政治を非難してこうも著わしています。つまり、 武士道は、
「損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りとする」 「算術で計算できない名誉を重んずる」と。
そして「桜花にまさるとも劣らない日本の土壌に固有の華」であると讃えました。 士農工商のゴルファーがいます。スコアにこだわる商のゴルフ、道具にこだわる工のゴルフ、四季折々を楽しんで耕し回る農のゴルフ、そしてスコアじゃないよココロだよ、 これが士のゴルフです。
さてさて、おのおの方、どちらのゴルフに居られましょうか。
「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
撮影/増田保雄