聖人君子にあらず。されどゴルファー
ご当人から「立場上、実名はご勘弁」と固いお断りがありますので、匿名でご紹介しなければなりません。北陸を代表する基ゴルフ倶楽部のYさんが、十年前の理事長杯をとったときの話です。ハンディキャップ6になりながら、大きな競技会での勝ちがなく、この倶楽部でゴルフをした足跡としていつかはチャンピオンボードに名を刻みたいものだと思っていました。
ある年、理事長杯で準優勝まで行きました。その翌年の同大会では期するものがあり、予選会を一位で通過し、その後も順調に進みました。決勝戦は前年の優勝者Zさんと再び相見えることとなりました。三番で早くもZさんにリードされました。
四番はフェアウェイの広いパー4ですが、左側の道に跳ねて松の木を越えるとOBです。Yさんのボールはその松の木に引き込まれました。みんなが無言になる中、キャディと顔を見合わせ、暫定球を宣言しました。これはセンターに飛びました。全員がボールを探してくれましたが、時間が来ました。
一つ溜め息をして暫定球のほうへ向かおうとした時、草の中に白いものが見えました。ブランドロゴも見えました。「ありました」 のひと声で重たい空気が晴れ、みんなはそれぞれの居場所に散りました。
ツキのあることを喜びながら、アイアンを選んでアドレスに入ったYさんでしたが、すぐにアドレスを解き、もう一度ボールのブランドロゴを覗きました。ロゴの脇に必ずつけている赤ポチマークがない。
Yさんの中で「打ったら」と唆(そそのか)すくぐもった声がしました。すぐにYさんは答えました、「このまま打ったらグリーン上で赤ポチマークがないことがキャディにばれる。キャディはその場では黙っていても、あとで噂が立つ」自分の中で悪魔が囁いたことそれ自体が恥ずかしい。その上、くだくだと御託を並べている自分が情けない。体が熱くなりました。
「いまこれを打ったら絶対に勝てない」と自分自身に言い放つやYさんはボールを拾い上げ、暫定球のところへ急ぎ、いまの心の内のひと悶着を悟られまいと平常を装い、「これ、ロストボールだった」とキャディに渡しました。再びみんなが気の毒そうな顔になりました。
その後、Zさんに思いがけない崩れがあり、粘ったYさんに理事長杯が舞い下りました。そうなってみると、事の重大さがますます実感されるのでした.........。
これは、気の置けない仲間だけが集まってくれた十年前の祝いの席でしみじみ語られた話でしたが、最近よそから私の耳に入りました。物書きの危なっかしさを知っている Yさんは今日まで私に話してくれなかったのです。
名前を伏せることを確約すると、Yさんはようやく私が雑誌に書くことのOKをくれました。 「もしあの時、悪魔の囁きに負けていたら、ゲームにも負けていただろうけどね。ま、仮にだよ、あのボールを打って勝ってたとしたら最悪だ。クラブへ行っても生涯ネームプレートを見上げずに過ごさなければならなかったわけだから」とYさんは述懐します、「そいつは終身刑と同じだよね」
「ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
撮影/大澤進二