マナー研究家・鈴木康之はバブルゴルフから脱却しなくてはならないと話す。自身の著書「脱俗のゴルフ」からエピソードをご紹介。

宮殿のようなクラブハウスが金銭感覚を狂わせる?

「最近のゴルフ場はクラブハウスばかり立派にする傾向がある。クラブハウスでおどかしたり、儲けたりしようとする」

「近ごろのゴルフ場はコースよりも風呂場ばかりを立派にして困ったものだ。温泉マークでもつけたらいいね」

一九九〇年前後のバブル期に豪華絢爛を競い合ったクラブハウス批判かというと然にあらず。どちらもそのずっと前、一九六〇年代頃の発言です。

一つは赤羽GCの設計者、川崎国際の創設者の一人、平山孝さん、もう一つのほうは元JGA会長でもあった政治家、石井光次郎さんの言葉です。

この頃から日本のゴルフ場は、用地が手狭で山岳地帯、コース設計が思い通りにいかない分、クラブハウスで高価格感を出すべく派手作りになりました。募集パンフレットには「高級ホテルのような」という宣伝文句が躍ったものです。

バブル期になるとコースとハウスのアンバランスはさらに増幅。パンフレットのコピーは「高級ホテル」から「御殿」「宮殿」へとエスカレートしました。

その非日常性を苦笑いしているうちはまだよかったのですが、最近になって、華美なクラブハウスの不合理がゴルファー、コース側双方の足かせとなり、とうとう問題が顕在化しました。

画像: 神戸ゴルフ倶楽部の歴史を感じさせるクラブハウス

神戸ゴルフ倶楽部の歴史を感じさせるクラブハウス

料金を下げたくても、過大な建物を維持するハード面の経費、配置要員の人件費が足かせになります。ハウスがもっと質素であれば経営コストもプライスももっと下がります。早い話、高級高層テナントビルの中のラーメンは同じ町の路地裏のラーメンと同じ味、同じ値段になれるわけがありません。

華美な建物という余計なもののために料金の低廉化が止まってしまっただけでなく、私たちにとってもっと具合が悪いことは、気持ちが財布の中と同調しないことです。たとえば、ビールから発泡酒へ、さらにビール風味飲料へと十円ずつ安いほうへ下りていく庶民が、頭上にシャンデリア煌めくクラブハウスに入ってしまうと、七百円のニューボールを池に落としても簡単に諦め、千円のラーメンを平気で食い、八万円のドライバーを買い替える。ゴルフになると、金銭感覚の別人になってしまいます。

自省を込めて書いています。そういうバブルゴルフから脱却しなくてはいけない、抵抗しなくてはいけない、と思いつつです。

神戸ゴルフ倶楽部『七十年史』の一文が昔日を偲んでいます。

「ラウンドを終えたプレーヤーたちは背をかがめて自分のボールを洗いにかかる。毛の抜けたブラシで丹念に土を落とす。当時、ボールは貴重品だったし、水道のひかれていない六甲では水もまた貴重であった。手や顔を洗った後の洗面器は、用済みのタオルできれいに拭いてから立ち去る。周りの仲間たちと談笑をかわしながら、手が自然にそのように動いている」

昔日、ゴルフは大人の質素な遊びでした。"Turn to the basic."原点に帰れ。これはスウィングに迷ったときだけの教えではありません。

「脱俗のゴルフ 続・ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より。

This article is a sponsored article by
''.