ゴルフはお金がかかる。そういったイメージを持つ人は多い。マナー研究家・鈴木康之はゴルフから無駄を省き、質素を旨(むね)とすることで、若者たちをゴルフ場へと誘うことができるようになると言う。自身の著書「脱俗のゴルフ」からエピソードをご紹介。

自分のため世のため ゴルフを安く

三寒四温、アカギレの季節が通り過ぎると、手袋を外します。会議室で日焼けした右と焼けていない左、不揃いの手を出すのが嫌で、ゴルフは両手素手でします。真夏の汗の気持ち悪さもなし。素手のパッティング同様、直のグリップ感覚はなかなか結構なものです。

じつは第一の理由は別です。できるだけゴルフのコストを抑えようと、なくてもいいものを外していったら手袋も外せました。

冬は生来のアカギレ症のためにやむなく両手にはめます。人の倍の経費がかかって困ります。練習が好きで、グリップにクセがあるからでしょうか、古くなってくると親指に穴が空きます。先代の古手袋の一部を楕円に切って皮セメダインでツギあてします。

画像: 寒い時期を除けば、素手ゴルフ、意外と悪くないかも

寒い時期を除けば、素手ゴルフ、意外と悪くないかも

二度ぐらいツギあてをし直せば、一個でひと冬もちます。

初めての方と回る時はなるべく新しいものをはめますが、仲間とやるときは気兼ねなくツギあて古手袋です。

それが妻の感覚には非常に貧しく、汚らしく目に映るようで、新しいのを気持ちよくはめてすればよいのに、と言います。男は城山三郎さんの本で丸覚えした石田禮助さんの「祖にして野だが卑ではない」のお題目を、ゴルフもまた然りとおでこに貼っているものですから、これでいいのだと聞きません。

男はゴルフの物価を昼飯代に換算します。羊皮手袋は昼飯代三、四日分に相当します。ボールもそうです。池へ落としたり林の中で見失ったとき、キャディさん、いいよいいよ、と簡単に諦める人が少なくありませんが、箱から出したニューポールですと、私がよく食うそば屋の日替わり定食一食分です。

もっとも私の使用球は、一個百数十円のもので、何ラウンドでも使い続けますから、ままよなくしても日替わり定食のイカリング揚げを一個床に落としたぐらいの口惜しさで諦めがつきます。

日立大みかGCで見たボールを思い出します。全部で六ホールズなのですが、井上誠一設計を復元、常連たちに親しまれているコースです。その一番ティに僅かに傾斜した雨どいのようなボール置きがありました。なんと言うんでしょう、ボール・ナントカッターとか言うのでしょう。着いたら自分のボールをその傾斜溝の上側に置く。それがスタート順です。

理に適ったそのシステムもさることながら、そこに並んでいるボールを見て、嬉しくなりました。みんな、私のボールも気安く仲間入りできるような、よく使い込まれ、擦り傷がついていたり、色がくすんでいたりのボールたち。ここの常連たちの質素が窺えました。

ゴルフで人はとかく金銭感覚が麻痺しがちです。ゴルフが金持ちの遊びだと思われてはいけません。それでなくてもわが国の場合、ガソリン代や高速代が高くつき、それに税金などという余分なものがかかるのです。

ゴルフからできるかぎり余分な贅を取り外し、一回でも回数多く楽しみたい。そしてこれだけ安く遊べるんだと証明しないと、新しい、若い仲間たちを誘えません。

撮影/姉崎正

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