マッチプレーならOK? OK! でOK
劉邦(りゅうほう)という人は天下を統一するにあたって「法は三条のみ」と宣言しました。秦の悪政は複雑きわまりない法律を定め、人民をがんじがらめにして苦しめました。それに対して劉邦は「罰則は三カ条のみ。殺人は死刑、傷害は処罰、窃盗も処罰。あとはすべて廃止する」。官の睨みをより少なくして、民の自主性をより多く発揮させる政策であった、と読んだ本にありました。
このひとくだりに私が興味を持ったのは、昨今の規制緩和の官民問題を思ったからではありません。秦の「複雑」に対する劉邦の「三条のみ」、この対比が、私の頭を悩ますゴルフルールの問題に連想が働いたからです。 ゴルファー百人中にゴルフ規則に精通している人が何人いるでしょうか。
ルールブックを持たない、読まないゴルファーが多いことも問題ですが、読めといっても複雑多岐な三百項目、とても覚えきれません。ケースごとの裁定集はさらに細かく、年々変わります。ルールに忠実であろうと思う殊勝な人でもなかなかついていけません。プライベートコンペでお楽しみ中の皆さんに水を差すようで申し訳ないのですが、参加者全員の一打一打が最新のゴルフ規則およびゴルフ規則裁定集にのっとって公正に行われ、優勝者と飛び賞受賞者が決まり、それぞれの栄誉を家に持ち帰っているか、はたしてどうでしょう。
ゴルフは英国から米国へ伝わりました。快適主義の国・米国のゴルファーたちには、プリンシプルの国・英国の大原則「ボールはあるがままのライでプレーせよ」なぞという精神主義はあまり合理的なことではありません。そこで罰打でチャラにする救済ルー ルを次々に作りました。米国人は嫌がるかも知れませんが、罰打という金によるライの買い替えと言えなくもありません。合理的ではありますが、消費主義的でもあります。
また、米国式ストロークプレーのトーナメントでは、前の組と後ろの組のプレーヤーが公平でなければなりませんから、あらゆるライでの処置をルール化しました。その結果、秦の時代のような複雑多岐なルールになったわけです。 ともあれ、ゲームの継続と進行のための救済のルールを、多くの日本人は罰を喰らうルールと考えます。だからルールに親しみを覚えないようですが、その割には大多数がなぜかストロークプレーを好みます。
古来何人ものゴルフ賢人がルールの簡素化を訴えましたが、理想論と片づけられました。ルールは「あるがままに打つ」「自分に有利にならないようにする」、この二つでよしと説く人がよくいますが、これはやっぱり精神論であって、たしかにゲームの場では実際的ではありません。
レス・イズ・モアの国リンクスランドのゴルファーたちの遊び方はマッチプレーです。 マッチなら世界は君と俺の二人だけ、ルールが至って簡単だからです。「こうしていいか」 と聞き、君が「いいよ」と言うなら俺はそうする。「だめ」と首を振るなら、よろしい、 俺はそれに従う。簡単ルールの芝の上、君と俺とのプレーが、友情と駆け引きを織り込みながら、妙味豊かに展開します。 マッチプレーで日本のゴルフはもっと楽しい時代へ戻ると思うのですが。
「脱俗のゴルフ 続・ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より