イップスになりかけたとき、準備の時間があることに気がついた
大会に出始めの頃、林恵子さんにとって五百円硬貨は縁起のいいお気に入りのボールマーカーでした。ところがあるとき、年長の同伴競技者から「それ、ちょっと大き過ぎない?」と注意されました。最近は五百円硬貨ぐらい大きなマーカーがよくありますが、時と場合によっては気になる大きさかも知れません。注意した人には陽が反射して眩しかったのかも知れません。
ボールマーカーは自分のボールの代わりをする自分のものですが、考えてみれば、人がプレーする時のもの。プレーする人の目に配慮しなければならないものでした。林さんはこの一件ではそのことを学んだようです。
林恵子さんは日本女子シニアゴルフ選手権で二〇〇五~〇七年、三連覇した方です。
そんな凄い肩書きから私は堂々たる体軀で、こんがり日焼けした女性を想像したのですが、大違いでした。船橋CCで知人に紹介してもらった林さんは、小柄で、柔和で、そう言っては失礼かも知れませんが可愛い、とてもお孫さんがいるとは思えない若い顔立ちの女性でした。この人が本当にシニアの日本一なのか、と目を疑いました。しかし、 コースに出たら、即納得です。長いものの飛距離もさることながら、外から内から入れてきてスコアを作る。ショートゲームはただもう見とれるばかりでした。
その林さんがかつてパッティング・イップスになりかかったことがあるそうです。それを直してくれたのがここの山田章平プロだというご縁で、その日も船橋だったのですが、それはそれとして。
林さんはイップスの恐怖とともに、早くそれを追い払わなければならない別な悩みを抱えました。打順が来てから悪魔と睨みあうために仕切りが長くなり、スロープレーになりかかりました。とりわけ試合ではほかの選手を焦らせるようなことがあってはいけません。スロープレーは組全員のペナルティにもなります。
どうすべきか。林さんはゴルフには事前の時間がたっぷりあることに気づきました。
より早く準備に取りかかることでした。気持ちと体を整えることも、ラインを読む立ち居振る舞いも、前もってすませておき、素振りがちょうど自分の番のタイミングになるようにして、心静かにアドレスに入る。ショットでも同じ要領です。テンポが良くなれば体が硬くならずにうまくいく。自分がうまくいけばみんなもうまくいく。他のプレーヤーへの心配りは、ルールブックの中の最初のテーマです。
いちばん早くパッティングを済ませた人が置いてある旗竿を取り上げて持つ、次のオナーに決まった人を次のティ方向へに向かわせる。それは日本女子シニアというような公式戦でも同じことです。
「皆さん、選りすぐられたゴルファーばかりです。クラブ競技やこういう公式戦のペースづくりがお見事なんです。それぞれが自分の世界を持っていて、そのことをよく知っている者同士ですから、とにかく互いに気遣いが深くて、ハートが違うんですよね」
私が船橋でご一緒させてもらったのは〇八年の大会一カ月前でしたが、「各地のお友だちに会えるのが楽しみなんです」と同窓会を待つようにおっしゃいました。四連覇の緊張を目前にした人の言葉とは思えませんでした。
「脱俗のゴルフ 続・ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より
撮影/有原裕晶